大量無差別殺人を引き起こした二トラムと呼ばれる青年。典型的な自己愛型人格障害。言葉にすれば、なんか難しそうに思われるでしょうが、子供心のままで、大人になってしまったなってしまった哀れな主人公なんです。しかし、そんな人間が引き起こす事件がふえていることが問題なのです。
「ママの自慢になりたかった、パパを喜ばせたかった。彼みたいになれなかった。」
すべて主人公の思いです。
1996年オーストラリア、タスマニア島で起こった大量無差別殺人。
35人もの犠牲者を出したこの事件。
当時28歳の二トラムと呼ばれた青年の単独の犯行。
冒頭の言葉にあるように。
彼の思いは、子供のまま、心の成長をある時期で止めてしまった青年。
そして、引きこもり。
かなわぬ思いだけが、ふつふつを心を支配して行く、自己愛者特有の性格。
こんな思いを抱き、引きこもりをしている人間は、増えこそすれ減ってなどいない。
こういう心象を持った人々の起こす事件は、枚挙のいとまがない。
かの近松門左衛門でさえ、戯曲の中で取り上げている。
『女殺油地獄』。
そう、今始まった問題ではないのです。
銃社会と引きこもりの増加が、事件の拡大をまねく
そう、映画に描かれるように、簡単に銃器が手に入ってしまうことが、悲劇を大きくしている。
事件を契機に銃規制は、すすんでいるようだが、十分でない。
銃を規制すれば、問題が解決するかといえば、そうとは言えない。
銃の手にはいらない、日本でさえガソリンやトラックを使った大量殺人事件が起こっている。
そう、ほとんど予防など不可能に近い。
彼らにとっては、何でも武器になる。
近松の時代との大きな違いは、その予備軍ともいえる引きこもり者の増加だ。
親の年金でくらす引きこもり世代が、50歳になり問題化している8050問題。
やがて、10年後は9060問題になる。
さらに、その後輩達がつづいているとなると、ほぼ絶望的気持ちになる。
引きこもり者が、すべてこんな事件をおこすわけではなく、ごく一部ではあるが。
やはり、その予備軍ともいえる底辺の増加は不気味である。
役者が見事に演じき切っている。
主人公の青年役のケイレブ・グランドリー・ジョーンズをはじめ、その母や父親の役。
それぞれの役になり方が、見事です、
ああ、こんな父母の下で、その気持ちを汲みながら、両親の望む子供に必死になろうとする主人公。
そんなものは、やがて破綻する。
所詮子供と親は別の人格なのだから。
そのゆがんだ感情が、主人公のような人間を作る。
永遠の子供。
やがて、現実社会の中で受け入れられない、怒り鬱屈が頂点に達する。
いつも思うのだか、こういう事件の主人公は、精神的疾患というか必ずある種の向精神薬を服用していることが多い。
しかし、その因果関係は、水面下でささやかれることはあっても、決して社会問題として取り上げられない。
このあたりは、今後もっと論じあうべきだと。
そう、こういった事件の引き金の一つになっているのだから。
さあ、結論はこのような事件は残念ながらなくならない。
増えることはあっても、減ることはなさそうだ。
じゃあ被害にあわないためには、といっても防ぎようもない。
そう、そんな窮屈な時代に生きてしまっているという事。
せめて、少しは、社会がこんな事件を起こす予備軍を鍛えなおす役目が担えればいいのですが。
かつては、そうだったんです、社会が先生だった。
映画『二トラム』公式サイト:http://www.cetera.co.jp/nitram/
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