『少女ムシェット』どんな境遇でもなを生き続けなければならないのか

映画フィルムのイメージ画像 映画館

1967年仏作の映画『少女ムシェット』、白黒の作品ですが、そこには14歳の一人の少女の悲劇が語られております。今の時代では、想像もできない極貧の生活の中で、希望を失ってゆく少女の悲しい物語。似たような悲劇は今の時代でも起きているのではないでしょうか。

少女の過酷な境遇

ジョルジュ・ベルナルスの小説をロベール・ブレッソンが映画化した作品少女ムシェット

1967年作で日本公開は1974年。

現在、新宿シネマカリテで上映されております。

主人公ムシェットは14歳病床の母親と、ろくに働かない暴力をふるう父親。

極貧と表現するほかない家庭、そんな境遇の少女に次々と過酷な出来事が降りかかります。

見ているのも辛い作品と言うのが当てはまる、そんな作品です。

しかし、14歳の少女にはなすすべがありません。

来る日も来る日も、病気の母親と赤ん坊の世話、父親はアル中で仕事もろくしない

学校では、同級生や教師から辛い目に会わされる。

そんな少女に、更に不幸が降りかかってきます

人間はどこまで耐えられるのか

そんな、場面の連続です。

『異端の鳥』と言う作品も、そんなシーンの連続ですね。

僅かながらでも、拠り所や逃げ場所があればやっていけるのでしょうが。

それもないとなると、悲しい結末になります。

貧困というのは、それだけ人間から生きるエネルギーをそいで行きますね。

また、人間というものを変えてしまう負のエネルギーを持っています。

永山則夫と重ね合わせる

1967年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件を引き起こした死刑囚です。

事件当時少年だった永山への死刑適用が大きな社会問題となり、その後の少年犯罪の処罰や死刑制度そのものの存続にも影響を与えたとされる出来事です。

獄中の永山は小説を書くようになり自らの犯罪に至った人格形成の原因となる、彼の幼年期から少年期の事も作品にしております。

それは、まさに極貧の生活で、両親の育児放棄、兄弟姉妹によるいじめ

北海道という過酷な環境での生活。

社会は永山一家を見て見ないふりをします

彼の幼年期の心象風景で象徴的なのが、真冬の原野で兄弟姉妹から置き去りにされる描写があります。

つまり、両親からも兄弟姉妹からも捨てられるわけで。

その時の絶望感というものが、作品に描かれており。

彼が、後に犯罪に走るようになるその根源みたいなものが感じ取れます

死刑囚永山則夫は、貴重な作品を数多く残してくれました

人間社会の不条理

いつの世になっても、この様な悲劇はなくならないですね。

たとえ極貧というような家庭環境でなくても。

また、違った形で追い込まれてゆく子供達はいなくならないです

悲しいかな、不条理な世界ですが、それが現実です。

しかし、永山が獄中から訴えたことに耳を傾けることはできるのではないでしょうか。

少なくとも、『少女ムシェット』の時代ほど、現代は悲劇的ではないですから。

弱者の信号にもう少し敏感であってもいいのではないでしょうか。

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