『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』

江戸歌舞伎歌舞伎・お芝居の世界

粋なお芝居の代表作、面白い題名ですね

浮世絵 富嶽百景

どうしてこれが、よはなさけうきなのよこぐしと読むのか分からないですよね。

江戸歌舞伎では、特に世話物と呼ばれる、町人(庶民)を主人公とした作品群は、芝居の中身とはおおよそ関係のなさそうな題名がつけられることが多いです。

それが粋だったんですね、どう読むか「俺は知ってるぜ」みたいなところが粋だったんでしょうね。

この芝居「与話情浮名横櫛」は一般的には「切られ与三郎」と言われております。

なんとなく「切られ与三郎」だと芝居の内容が見えてきますよね。

この分かりにくい題名を付ける傾向は、関東(江戸)の作品群に多く見られ、関西の作品群は、芝居の内容と一致した題名が付けられることがおおいようです。

芝居の主人公は、アウトローが多い

さて、この「与話情浮名横櫛」の主人公ですが、江戸の大店の若旦那という設定です、その若旦那が、身を持ち崩し(いわばグレテ)、さらに親戚に預けられた木更津で地元の親分の妾(めかけ)お富に一目ぼれをしてしまします。

あげくのはてに情事がバレ親分の手下に滅多切りにされます。

まあ大人しく、大店を継いでいればよかったんでしょが、それでは芝居にはならないですよね。

この人の世のままならなさが芝居として人を惹きつけますよね

まさに、アウトローに人間臭さというものを見出し、観客は共感します。

そしてこの芝居の最大の見せ場が、九死に一生を得た与三郎がゆすりに入ったところで偶然お富と再会する、「三幕目源氏店妾宅の場」です。

そこでかの有名な「いやさこれお富、久しぶりだな」のセリフがでてまいります。

この「源氏店妾宅の場」は、他にも与三郎とゆすりのコンビを組む蝙蝠安(こうもりやす)という、誠にちんけとしか言いようがない子悪党も出てきて、なかなか楽しませてくれます。

写楽の芝居絵

このお芝居との出会いと思い出

私がこのお芝居を初めて観たのは、1974(昭和49年)国立劇場小劇場第七回青年歌舞伎祭でのことで当時中学三年生でした。

誰かに連れてゆかれたわけでもなく、其のころ歌舞伎の虜になっていた私は、自らチケットを購入してゆきました。

演じていたのは、「木の芽会」という若手歌舞伎役者の勉強会の公演で、与三郎を演じていたのは、当時からファンだった二代目中村吉右衛門(なかむらきちえもん)でした。

この劇場は、大劇場と小劇場からなり、とくに小劇場はこじんまりとして役者の息使いが聞こえてきそうな。

そういう意味では、今ほどの大きな劇場(芝居小屋)のなかった、江戸時代にちかいのかもしれません。

そこで、私はこの芝居に酔いしれました、まるで江戸時代にいるような気分、それは、いまのようにあわただしさなど無縁、人間が機械に振り回される以前の人間らしい人間がそこにはいました。

その感覚は、今になって理解したもので、当時の私は、なんてのんびりした芝居だと思っていたことも事実です。

その、今現在いる世界との違いが、面白かったんでしょうね。

国立劇場の正面玄関

歌舞伎の主人公に、自分とは違う違和感を感じて

なぜ、これほどまでに歌舞伎に惹かれたのでしょう。

当時、生徒会長などというものをして、背伸びして良い子を演じてきたわたしとしては、歌舞伎の主人公は実に不思議でした。

何というか、こんないい加減な生活してていいのこんな自分の欲望に対してストレートでいいのというきもちです。

別な言い方をすれば、こんなんでも生きてていいんだという気持ちです。

それは、優等生を演じてる自分には新鮮で、解放してくれる感覚があったのです。

60歳を過ぎたいまは、優等生もへったくりもありませんが。

歌舞伎の中には、人間臭さというものがふんだんに出てきます

それは人間らしいというか、人間が人間をやっているという感覚です

江戸時代はそれが当たり前のことで、当時の人に言わせたら、「人間が人間をやらないんで、じゃあいったいなにやるんだい」と言うことになりますね。

欲望のままに享楽的になるのとは違う、いけないと思っても一線を越えてしまうことがある

それが人間てものなんだよと教えられているきがします。

ままならない、理屈ではない、そんなところに物語があり、感動がある。

そんな歌舞伎という世界に浸って、あなたも人間らしさをとりもどしませんか

あわただしい現実に振り回される、ばかりでなく、立ち止まってあなたの心の声を、叫びを聞いてみましょう。

歌舞伎は、きっとそんな機会を、あなたにくれます。

人間が人間をやりましょう

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