のどかと言うには、過酷な自然と現実の中で生きる、チベット遊牧民の一家を描いた作品『羊飼いと風船』。生活の中心に信仰がありそれが当たり前の一家の生活。信仰から遠ざかり規範を失った私達には、なぜかうらやましいと思ってしまうのは私だけでしょうか?
チベット遊牧民一家の日常
私達とは、あまりにもかけ離れてます。
当たり前といえば、当たり前ですが。
それでも、文明の波は押し寄せているようで。
私たちと共通点の文明の道具は、テレビと携帯電話ぐらいでしょうか。
あと、草原を駆け巡る馬の代わりをするバイクでしょうか。
その他は、彼らの日常は昔からそんなに変わっていないのではと想像させられます。
私達から見たら、必要最小限で生活している様にみえるのは、ものにあふれた中で生活しているからでしょうか。
そんな遊牧民一家の日常生活が、豊かな自然の中で、叙情豊かに描かれております。
都会の喧騒、あるいは忙しすぎる日常になれてしまった私達には、やけに新鮮に見えてしまいます。
わずかな小さい喜びが、本当に嬉しいことと感じてしまう世界のお話です。
信仰と生活
彼らの日常に、ごく当たり前のように信仰があります。
それは、まるで呼吸をするかのように、自然に。
私達日本人が、信仰と距離をとってしまってから、どれほどの年月がたってしまったことか。
明治維新、廃仏毀釈、富国強兵。
その流れの中で、日本人は、その生活の日常から信仰というものが薄れてしまいました。
今では、世界でも数少ない無宗教の国民が多い国の一つになってしまいました。
まあ、キリスト教国といわれる国でも、近年人々の教会離れは止まらないようですが。
日本人もかつては、仏教を中心とした信仰心の厚い国だったのですが。
規範の中で生きるということ。
信仰を持つということは、キリスト教であれ、仏教であれ、一つの規範の中で生きて行くことです。
実はこれ、窮屈なようですが、人間にとっては大事なことで。
何でもあり、科学万能、自分の好きなようにとなると、逆に人間の心は、乱れてゆくようです。
行き場を失った魂が、過激な思想や信仰、異端の教えになびいたり、占いに身をゆだねたり。
多かれ少なかれ、現代でもそんな状況が見て取れます。
それぐらい、人間というものは、いい加減なものというか、弱い者なのですが。
ほっといたら何をしでかすかわからないのが、人間なのでは。
ですから、映画の主人公一家の様に、一つの規範の中で生活、生きて行けることは、幸せなことなのだと。
でも、作品にも出てくる、チベット仏教の転生については、受け入れがたいですが。
まあ、それが信仰ですから。
どうぞ、そんな遊牧民の生活、のどかというには、過酷な自然と現実の中で生きている家族の生活を覗いてみませんか。
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