映画『宮松と山下』お騒がせ男、香川照之主演。一連の騒動はさておき、純粋に作品を鑑賞しましょう。伝統的日本映画の流れをくむ映像処理、時間を見据えるカメラ。ひとつひとつにこだわりが感じられます。記憶をなくした男は、なくした自分を取り戻せるのか。
香川照之主演
ということで、なにかと注目度の高いお方ですが。
その演技力は、定評のあるところ。
今回は、記憶をなくしエキストラ俳優として生きている男のお話。
エキストラという設定は、なにか意味があるのだろうかと、深読みをしてしまう。
たとえわずかでも、映像になることで、誰か自分を見つけてくれるのかと考えたのか。
実際は、そうなるのだけど。
となると、お話作りの為の設定かな、なんて考えも。
しかし、前半のお話の進行は秀逸。
エキストラとしての場面と実生活との堺を曖昧にすることで、宮松という人間が見えてこない。
まさに、記憶をなくした男にふさわしく、どの場面にもはまる。
そう、前半の宮松は自分自身をなくした男なのだと。
![映画『宮松と山下』ポスター](https://i0.wp.com/himabu117.com/wp-content/uploads/2022/12/DSC_0459.jpg?resize=377%2C671&ssl=1)
純文学の味わい
この映画を表現するとなるとこうなると思う。
ふとしたことで、過去を取り戻した宮松、実は山下。
さあそこで問題です。
彼は、宮松を選ぶのか、山下を選ぶのか。
その両人の演じ方が、さすが香川と思わせます。
難しい役どころですね。
人間とはいかに、という出発点からスタートするのが、純文学。
とすると、この作品はまさにその趣。
静の中に、心のヒダを描く作品。
日本映画の伝統とも言える手法ですが。
この作品は、それを踏襲したとも言える作品。
心静かに、人生を振り返りたい方には、最適の作品かも。
ただ、純文学と表現したように、現実は、もっときったはったの世界だと。
そこをあえて、理想的とも言える人間像に収めたところが、純文学的。
意外と大衆小説とか言われる作品のほうが、人間という不思議な生き物を描けているとも思えるのですが。
それはさておき、山下に戻った宮松の選ぶ道は。
ラストに、一服の清涼感というか、感慨深さを覚えるのは、作品の成功だと。
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