映画『宮松と山下』お騒がせ男、香川照之主演。一連の騒動はさておき、純粋に作品を鑑賞しましょう。伝統的日本映画の流れをくむ映像処理、時間を見据えるカメラ。ひとつひとつにこだわりが感じられます。記憶をなくした男は、なくした自分を取り戻せるのか。
香川照之主演
ということで、なにかと注目度の高いお方ですが。
その演技力は、定評のあるところ。
今回は、記憶をなくしエキストラ俳優として生きている男のお話。
エキストラという設定は、なにか意味があるのだろうかと、深読みをしてしまう。
たとえわずかでも、映像になることで、誰か自分を見つけてくれるのかと考えたのか。
実際は、そうなるのだけど。
となると、お話作りの為の設定かな、なんて考えも。
しかし、前半のお話の進行は秀逸。
エキストラとしての場面と実生活との堺を曖昧にすることで、宮松という人間が見えてこない。
まさに、記憶をなくした男にふさわしく、どの場面にもはまる。
そう、前半の宮松は自分自身をなくした男なのだと。
純文学の味わい
この映画を表現するとなるとこうなると思う。
ふとしたことで、過去を取り戻した宮松、実は山下。
さあそこで問題です。
彼は、宮松を選ぶのか、山下を選ぶのか。
その両人の演じ方が、さすが香川と思わせます。
難しい役どころですね。
人間とはいかに、という出発点からスタートするのが、純文学。
とすると、この作品はまさにその趣。
静の中に、心のヒダを描く作品。
日本映画の伝統とも言える手法ですが。
この作品は、それを踏襲したとも言える作品。
心静かに、人生を振り返りたい方には、最適の作品かも。
ただ、純文学と表現したように、現実は、もっときったはったの世界だと。
そこをあえて、理想的とも言える人間像に収めたところが、純文学的。
意外と大衆小説とか言われる作品のほうが、人間という不思議な生き物を描けているとも思えるのですが。
それはさておき、山下に戻った宮松の選ぶ道は。
ラストに、一服の清涼感というか、感慨深さを覚えるのは、作品の成功だと。
コメント