映画『レッド・ライト』オカルト映画とバカにしてはいけません。

映画『レッド・ライト』のチラシポスター映画館

2012年米国製作、科学者対超能力者

何と言っても、シガニー・ウィバー、ロバート・デ・ニーロが出ているのが売りですが。

超能力の真偽を暴いて行く過程を丹念に描いています。

日本でも、1972年オカルトブームがありまして、ユリ・ゲラーなるユダヤ人がテレビのワイドショーなどで、スプーン曲げを披露した記憶がおありかと。

当時も諸説入り乱れ、偽者も結構現れた記憶があります。

その後はこれと言ったブームもなく今日まできてますが。

海の向こうでは、結構こうした話題が日常に上がる様ですね。

聖書とオカルトのつながり。

キリスト教社会では、割とオカルトについて語られる機会は多いです。

なぜならば、悪魔の存在を肯定してるからです。

肯定しているという言い方はおかしいかもしれませんが。

悪魔の定義は、人間が神から離れようと企てる力のことです。

具体的には、神に仕えてきた天使、ルシファーが隋楽して神と人間をはなそうとする企みを総称して悪魔といいます。

旧約聖書の時代は、カバラ魔術。新約聖書の時代になってからは、薔薇の十字友愛団、錬金術。

そして、フリーメーソンへと続きます。

ですから、悪魔つまり人間と神を隔てようとする企みは、アダムとエバが知恵の実を蛇ににそそのかされてからですから、悪魔は存在するという考え方はごく普通なんですね。

キリスト教のグループの中にもオカルト的なグループも

そういう言い方をすると失礼かもしれませんが、いわゆるペンテコステ派というグループも、奇跡とか癒しということをよく使います。

つまり、目の見えない人が、見えるようになった歩けなかった人が急に歩けるようになったと礼拝の中で行うことがあります。

一つ一つは精霊の力によるものと彼らは言いますが、はたから見てると、なんともホントなのかなと疑ってしまいます。

しかし、彼らからすると聖書の中では、それらの奇跡をイエス様が行ったのだから、現代でも行えると信じて疑わないわけです。

また、新約聖書の使徒言行録にあるように、あらゆる言語の違う人たちがなぜかお互いに言葉を通じ合えるという記述に従って、異言を語るというグループも結構ごく普通にあったりします。

しかし、アメリカのキリスト教の中心的グループである、根本主義というグループはそれらを否定するのですが。

こうなると、何が正しくて何が間違っているのか分からなくなります。

グノーシス主義という長い歴史

神と人間とを離そうとする働き、あるいは考え方の総称をグノーシス主義といいます。

有名な偉人では、ワーグナー、ユングなどがあげられます。

もうここまでくると、何を信じたらいいのか分からなくなってきますよね。

フロイトとならぶ現代精神医学の大きな流れの一つを築いたユングにいたっては、「ユングとオカルト」なる研究も盛んになされているくらいですから。

となると、今回の映画の様に、超能力を暴くことに躍起になる人もいるということも納得できます。

しかし、超能力やオカルト的なことが、全部嘘かというとそれも違うようなきがします。

何と言っても、聖書自体が悪魔の存在を認めているのですから。

科学者と超能力者の戦い結末はいかに

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