ーネタバレを含みますー
『私、オルガ・へプナロヴァー』繰り返す連続無差別殺傷事件、その事件の代表例だろうか、そんな行為に至ってしまう主人公の心情を冷静な目で追ってゆく作品。肥大化した自己愛のなせる技の怖さを特とご覧あれ、悲しいけど歴史は繰り返すし、今後もなくならない
肥大化した自己愛の怖さ
これを言ってしまうと、この映画の解説は終わりなのですが。
オルガ・へプナロヴァーが、トラックで通行人を8人轢き殺したのが、1973年、チェコのプラハ、彼女が22歳。
秋葉原で同じくトラックで通行人を轢きその後ナイフを振りかざし、7人を殺害した加藤智大の事件が、2008年。
この2つの事件の関連性は、あまり指摘されない。
しかし、犯人の心情には、いくつかの共通点がある。
その中でもとりわけ主たる要因は、肥大化した自己愛ということになる。
満たされたい自分これが、阻害されるから、歪んだ自己愛が肥大化してゆくと満たされない自分
この乖離が大きくなればなるほど、負のエネルギーが蓄積してゆく。
オルガの家庭を見れば、厳格な医者の母親、そして父親の不在。
母の手の中で、彼女はまるで家畜のようにその存在を母親に支配される。
脱却を試みるも挫折を繰り返し。
そう、大人になりきれない大人の悲劇。
しかし、オルガの心は、歪んでいる。
映画を見てると、ああこの母親ならこうなることもあるよなと思ってしまう。
問題の根っこは皆同じ
そう、自立ということだろうか。
乳離れできない人間の末路とでも。
でも、世の中にはそんな人間はいくらでもいる。
皆が、こんな事件を起こすかというと、そんなことはない。
多くは、負のエネルギーがうちに向き自殺という手段を取るケースが圧倒的だ。
ただ、その負のエネルギーがあるきっかけで外に向かうと大量殺人となる。
永遠にこんな事件はなくならない
人間がこの世に存在する限り、おそらくこんな事件は繰り返す。
世の不条理とでもいうか。
防ぎようはない。
ただ、この世を生きるものとして心の成熟を大事にするしかない。
そう、大人になること。
簡単なようで、とても大変なことだと。
これが、阻害されるから、歪んだ自己愛が肥大化してゆく。
ため息がでるだけである。
映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』公式サイト:http://olga.crepuscule-films.com/
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