『教皇選挙』義人はいないと聖書では説いてますが、まさに地でゆく。

映画『教皇選挙』ポスター 映画館

ーネタバレを含みますー

人間は、所詮どこまで行っても人間にすぎない、そんな言葉が聞こえてきそうな作品です。それでも前へ進まなければならない、決まらない教皇に監督の出した答えは、一つの方向性を示したのでは。

聖書の教えを説くはずなんですが。

難しいですね、世界で一番キリスト教徒の信者の多い団体なんですが。

その頂点の教皇を決める選挙。

だれが、舵取りするか。

映画は、実話ではないですから、これは違うと抗議がありそうなもんですか。

見てる方としては、多分こうなんだろうなと。

想像の域は、出ないにしても。

説得力のある作品です。

聖書の教えは正しくても。

その教えを説くものが、一つの組織となると。

それも、13億の信者を抱える団体ですから。

その権力の座となると。

候補者のあらが、出るは出るは。

まとまるものもまとまらない。

果てしない話し合いに、決着はつくのか。

なぜ、地域によって言語が違うのか。

聖書によると。

人間は、かつては一つの言語だったのですが、神様が、いくつかの言語を話す集団に分けたと。

つまり、皆同じ言語にすると、人間の悪が増大するから。

だとすると、映画のように一つの教派のもとで、一つになろうとするのが、どだい無理な話と思えるわけで。

じゃあプロテスタントが、いいのかというと。

彼らも、常に分派分派の歴史。

じゃあなんで、この映画のように、無意味とも思える選挙をするのか。

聖書では、皆のうちから一人を教師として立てて、という下りからすると。

導くリーダーを一人選びなさいという話なのですが。

巨大な組織となると、リーダー達の中から、さらに一人のリーダーという考えになるわけで

そうなると、聖書の教えとはちょっと話が

そして、組織となると政治力みたいなものが台頭してきて。

今回の映画のお話となるわけです。

漁師

信者の最後の拠り所は?

再臨を待つ信仰ということで、なんとか一つになれるわけで。

つまり信者にとって、キリストの再臨をもって救いの完成となり

それまでは、いくら洗礼を受けた信者でも、人間の悪からは、逃れられない。

と見れば、この映画の聖職者のドロドロもさもありなんと。

なんか、ため息の出る話なんですが。

映画として、ラストまで、引っ張られてしまう。

映画『教皇選挙』公式サイト:https://cclv-movie.jp/

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