映画『タイトル、拒絶』デリヘル嬢達の物語という非日常の世界。しかしそこにうごめくのは、まさに裸の人間の姿。嘘や欺瞞を大いに蹴散らす彼女達の姿には、何処か捨ててはいけないものを捨ててしまった者たちの心の叫びが聞こえてきます。悲しいですね。
山田佳奈2013年の自身の舞台作品の映画化
脚本・監督とも山田佳奈がおこなっております。
セックスワーカー(デリヘル嬢)として働く女性達の群像劇です。
体を売るという最後の手段に出た女性達。
その姿が生々しく描かれております。
何も売る物がなくなって体を売る者、お金の為と割り切っている者。
そこには、心と体が最底辺にある者達の叫びと呼べばいいのでしょうか。
最底辺という言い方は失礼かと思いますが、身体を売るというのは、最後の手段。
とても、悲しいことだし、とても自分を大切にしていないとも思えるし。
しかし、振り切ったものの痛快さも感じるのですが。
男女の営みというものの滑稽さ、なんだか寂しさを持ち寄っている感覚とでもいいますか。
性欲処理という、ある種機械的作業に従事している者の開き直りのようなものも感じます。
しかし、そこは生きた人間の話、いろいろとトラブルがありまして。
そのあたりが、コミカルにあるいは切ない気持ちにさせます。
人間が生きてゆく上でなくてはならない性欲、おもにそこに焦点を当てた作品なんですが、それだけだはすまないドラマが描かれています。
その後の女性達はどうなるのでしょうか。
一度体を売り物にしてしまった人のその後の人生ってどんなんでしょうか。
やはり、底なしの沼に落ちてゆくのでしょうか。
作品を見ているとふとそんな事が頭をよぎります。
風俗嬢から足を洗ったとしても、その事を引きずりながら生きて行かなければならないのでは、ないでしょうか。
風俗嬢で、あったことを隠して結婚し、幸せな家庭を持つ。
しかし、以前の仕事がバレるかもしれない。
町で突然お客だった人に会うかもしれない。
やっと手に入れた家庭が簡単に崩壊してしまうかもしれない。
そんな気持ちを持ち続けて行かなければならないのでしょうか。
そうだとしたら、払う代償は大きいですね。
そんな底辺にいるからこそ見えてくる人間らしさ。
ある意味全ての対価の上に成り立っている仕事。
全て捨てられるものはすてて、見栄や誇り。
だからこそ、人間の叫びのようなものが聞こえてくる作品です。
都会の孤独、人間の孤独、優しさを求める強い気持ち。
嘘や欺瞞はすぐ見破られて。
ただ、そこにあるのは、男と女の営み。
なんか不思議なエネルギーの湧きたつ作品です。
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