自分の居場所に戻った、そんな感じのする映画
2020年公開の『星屑の町』は、懐かしいという以上に自分の居場所にいる安堵感がある。
作品は舞台作品として、1994年に第1作が上演され、その後シリーズ化され全7作からなる作品である。
まさに、25年架けて醸成された作品の映画版である、面白くないわけがあろうはずはない。
舞台は、見てないが、映画では舞台と同じ配役で芸達者が揃ったこともあり、まさに壺を心得ていると言わんばかりの作品に仕上がっている。
初演の舞台から25年繰り返し上演されてきた。
そんな舞台の映画化は、いまの日本の映画製作の事情からすると、ものすごく贅沢な作品である。
見ているものを、昭和の世界に引きずりこんでくれる。
それは、あくまでも押し売りでもなければ、ノスタルジーを売りにする作品ではない。
ただあの時代を経験した者にとっては、デジタル化の進んだ昨今忘れていた、大事なものを思い出させてくれる。
画面に散りばめられる昭和歌謡の魅力
この作品の魅力は、その一言につきる。
ああ、こんないい歌があったな、思い出の歌は当時の感覚も呼び戻してくれる。
歌手という存在が今とは違う気がする、歌い手といっていたあの頃、今のようにグループで、それも大人数でメロディーラインだけ歌うのとは訳が違う。
あくまでも、ソロであれグループであれ歌で勝負していた時代。
いまの歌手がそうではないと言っているのではない。
あの高度成長期、みんなが豊かになれるという夢を抱けた時代、そんな希望が歌にも出てくる。
ちょっとした繁華街には必ずと言っていいほどキャバレーがあったし、フルバンドが入って歌謡ショーを繰り広げていた時代が懐かしい。
映画は、その中でもムード歌謡に焦点をあてている。
劇中「山田修とハローナイツ」と「内山田洋とクール・ファイブ」が重なる。
昭和を描くことは、以外と受けるかもしれない。
作品を見てると、ふとそんなことが頭の中をよぎる。
アナログの世界で生活していた時代。
都会には、風呂のない家が多く、銭湯が賑わっていた時代。
歌謡曲も 1曲の息が長いというか、一回ヒットするとしばらくその曲が町中から聞こえてくる時代。
いまより、生活の速度がゆったりとしていた時代。
そう、人間には、生きて行くのに適当な速度というものがあると思うのだが。
そんな、速度を検証する意味合いでも、昭和を描く作品がもっとあってもいいと思う。
別に、『星屑の町』の続編でなくてもよい、いいや違った角度から、いろんな作品が出てきた方が面白い。
以外と、若い人にも昭和という時代や昭和歌謡は新鮮に見え聞こえるかもしれない。
日本映画界よ、今を描くのもよいが、私たちの進むべき方向は、過去を振り替えることで、そのヒントが得られそうな気がするのだが。
どうか、昭和それもわりと近いところ、高度成長期やバブル期あたりをもう一度描いてほしい。
切に願います。
2020.03.21新宿 テアトル新宿にて鑑賞
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