社会的不安が彼らを押し上げた
映画は第二次世界対戦のドイツの敗戦の最後の12日間を描いている。
そこには、もはやあの独裁を欲しいままにし、自信に満ち溢れていたヒトラーの姿はない。
猫背で弱々しく、ただ虚勢をはる痛ましい姿だけが印象的だ。
一般にナチ、ナチ党と呼ばれた、国家社会主義労働者党は1920年に結成された、いわゆる極右政党である。
彼らが、頭角を表すのは、1929年の世界恐慌以降の国民の不安を背景としている。
1932年の選挙で国会の第一党にのしあがり独裁政権を敷くようになる。
まさに、国民の不安に乗じるかのように。
残された記録映像からは、ヒトラーの人民を先導する演説のカリスマ性、そして、国民の高揚感が伝わってくる。
時代が強いリーダーを求めた
世界恐慌という不安のなかで、民衆は力強いリーダーを求めたのだろう。
それくらい恐慌という社会不安の大きさがうかがえる。
ナチスはそれを上手く利用したのだろう。
高揚感の中で不安を忘れられる、解決できるかもしれない。
そんな一時の熱病みたいなものが、社会に蔓延する。
しかし、その末路は作品にも描かれているようにあまりにも哀れである。
国民の不満も反ユダヤ主義に乗じて、弱者に向けて行くやり方も巧妙だ。
アフターコロナの時代にあって
やはり、力強いリーダーを求めるだろう。
しかし、そこは慎重に進むべき道を選択しないと。
過去と同じ間違いを繰り返さないためにも。
カリスマ的指導者に盲従して行くことは、ある意味問題の深刻さから、一時的には逃れさせてくれる。
しかし、その指導者が誤った者であったら。
その末路の深刻さをこの作品は突きつけてくる。
よく目を見開いて進むべき方向を選択しよう。
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