南海の孤島で繰り広げられる、人々の生と性。そこに深くかかわる土着の信仰。それらがスクリーンに175分間にわたり延々と描かれます。まさに日本人の信仰の原型を見る思いでしょうか。
決して娯楽作品ではないだろうな
と私は思うのですが。
人によっては見かたがちがいますので、そのあたりはなんとも。
南海のとある孤島が舞台の作品。
そこで繰り広げられる、人間の生と性。
巨匠今村昌平が渾身を込めた作品。
なにせ、巨額の製作費の為、今村プロダクションが倒産の危機にひんした位。
時は現代ですが、内容は、神々の住む島。
そこは、日本ですから八百万の神々の世界で。
いわゆる、多神教の世界です。
決して、キリスト教の様な一神教ではありません。
この様にして、日本の神々は生まれたんだろうな。
そう感じさせる作品。
縄文時代から弥生時代に変わり、人々は狩猟生活から農耕民族に変化する中で。
あらゆる物に神が宿ると考える信仰、あるいは伝承が一つの形となって信仰が出来上がる。
仏教が伝来以降は変化してゆくのですが。
古来からの日本人の信仰の原型を感じさせる作品です。
どちらかと言うと存在する信仰と言うよりも、人間によって作られた信仰の色合いが強いと感じさせます。
そう考えると、日本の神々は人間臭いといいますか。
ただ、そこに霊媒、口寄せと言う存在が出てくると話が複雑になります。
東北地方ですと、イタコ。
沖縄や鹿児島奄美群島にはユタという巫女がおります。
信じるか信じないか。
これらの巫女の行う霊媒や口寄せを信じるか信じないか。
日本では、結構いまでもお伺いを立てる習慣があります。
さあ、この行為をどうとらえるか。
聖書では、死人と話してはいけないという文言があります。
ということは、死人と話が出来るという事の裏返しであるわけで。
であるならば、口寄せ霊媒が、噓八百とは言えないわけで。
作品の中には、巫女の存在、伝承による信仰。
それらが、人々の生活と密接につながっています。
まさに、日本人の信仰の原型を見る思いです。
神なしでも生きられる、現代社会。
日本人の多くは、普段信仰について深くは考えません。
なぜなら、信仰なくしても生きて行かれるからで。
大昔であれば、自然の驚異や人間が立ち向かえない疫病のたびに、たよるのは最後には信仰しかないのですが。
現代では、その不安の多くが科学の力で克服され。
あらゆる情報を瞬時に手に入れられるわけで。
時として抱く漠然とした不安は、占いや占星術でごまかしつつ生活を送れるわけで。
神や神々の出番が少なくなったのが現代ではないでしょか。
作品を通して、日本人の信仰の根源を再確認してみてはいかがでしょうか。
そして、神のいない生活が実は、味気のないものだと感じるかも。
神を求めよ。
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