『早稲田松竹』で映画みました。vol.1
今回は、マーティンスコセッシの2作品を見てきました。
2020年のアカデミー賞は、マーティンスコセッシの『アイリッシュマン』かと思ったのですが、残念ながら『パラサイト』の強烈な追い込みに負けてしまいました。
アカデミー賞も新しい時代に突入ということなのでしょうか。
昨今のアメリカ社会におけるジェンダーレスや少数者にたいする考え方の変化の表れとでも申しますか。
それはそれで評価してよいことなのですが。
いわば、古典的アメリカ映画と言うと失礼になるかもしれませんが、『アイリッシュマン』見応えありました。
もしアカデミー賞を受賞していたら、今回の企画もかなりタイムリーなものになるはずだったんですが。
それでも、流石スコセッシの初期の代表作ともいうべき2作品、堪能させていただきました。
劇場も日曜日のお昼の回ということでほぼ満席、欧米人の方たちも多かったです。
『キングオブコメディ』
1982年製作の作品です。
タイトル通りコメディ作品かと言えば、そうとも取れるし、まあ見る側によっていかようにも解釈は成り立つ作品かと。
私なんぞは、主人公やその女友達にそれぞれ強い自己愛的性格を感じるのですが。
いまから38年前の作品ですよね。
その後、日本でも肥大化した自己愛的性格者の引き起こす事件が次々に起きるのですが。
2001年 付属池田小事件
2008年 秋葉原通り魔事件
2016年 相模原障碍者施設殺傷事件
この作品の主人公を見てると、これらの事件がオーバーラップされ、コメディ作品として笑うにも笑えない、何か不思議な感じを抱きました。
皆さんは、いかがでしょうか。
『レイジングブル』
1980年公開の作品となります。
1940~1950年代に活躍したボクサーでミドル級チヤンピオンに輝いた、実在のジェイク・ラモッタの半生を描いております。
有名な作品ですから、ご覧になった方も多いかと思いますが。
恥ずかしながら今回始めて見させていただきました。
ストーリーはさておいて、私の中では、ラストエンディングロールの中で引用される、新約聖書の一節をどう作品と結び付けて解釈するかが、迷いました。
その1節は、次の箇所です。
ヨハネによる福音書9章24節からの引用です。
パリサイ派の人たちは、なんとかキリスト・イエスを罪びとにしようとたくらんでいた、そこで、盲人の目が見えるよう癒された行為に対して盲人に次の様に尋ねた言葉と、盲人の答えです。
『そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人であるかどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」』
さあ、これを作品と結び付けてどう解釈しようか迷いました。
事実は、人が何かととりつくって言おうが、事実は変らないととるべきなのか、その事実とは?
世間では、伝説のボクサーと言われ慕われる主人公も本当はこういう人なんだよということか。
いかにも、牧師を目指したことのある監督らしいのですが。
その解釈は、やはり作品を見る者一人一人に委ねられてるのでしょうね。
手の込んだことをしてくれます。
巨匠マーティンスコセッシの2本の作品を堪能した一日でした。
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