『ホワイトノイズ』死というテーマを皮肉交じり切り取って見せた作品。なかなかやるなというのが、正直な感想。重たい課題をあえて日々の生活の中の疑問にしたところが、この作品の成功したところでしょうか。キリスト教国のアメリカ人でさえ悩んでいるんです。
死というと重たいイメージを持つのですが。
この作品が成功しているのは、ユーモアを忘れず。
それでいて、問題の本質から逃げていないところでしょうか。
化学物質が漏れ出して避難する一家。
ひょんな経験から、日頃考えもしなかった「死」というテーマが、頭から離れなくなってしまったこと。
そう、誰でもそうなんですよね。
身内や友人が亡くなる、または自らが病気や事故で死と向き合わない限り、普通はあまり考えないですよね。
というより、考えないようにしてますよね。
だって、考えたところで答えは出てこないわけですから。
呼吸が止まる、心臓が止まる、脳波が停止するなどして、生命体としての維持が出来なくなったとき人は、死を迎えるのですが。
じゃあその先は、どうなるのというと。
誰も知らない。
死んでみないとわからない。
あるいは、死んでもわからないのかも。
だから、人々は死に対して恐怖をいだくわけで。
それは、致し方ないことです。
信仰無き日本人には、辛いこと。
まだ、信仰があれば、死に対して答えをくれるのですが。
日本人は、世界でも稀に見る無神論者の国。
一部には、信仰を持つ方もおられますが。
しかし、そんな日本人もお葬式となると途端に仏教徒の様になる。
それでいて、普段は、信仰と無縁の生活をおくれる。
実に器用な国民なんですが。
映画は、アメリカが舞台ですから。
当然キリスト教圏と考えられ。
死に体しては、一定の解釈があるはずなんですが。
それでも、この家族の様に不安になる。
これって、至極当然のことで。
「死」が怖くないというと、それは嘘です。
誰でも怖い。
たとえ信仰を持っていたとしてもです。
しかし、無神論者と信仰者の決定的違いは。
この「死」という問題を預ける対象があるかないかです。
当然、あったほうがいいと私は思うのですが。
いかがでしょうか。
どう考えても、答えは出ないのですから。
見えない恐怖に怯え、実生活が充実できないのなら。
この問題を信仰に委ねるのも。
だって、それが信仰なんですから。
映画『ホワイトノイズ』公式サイト:https://www.whitenoise-jp.com/
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