ーネタバレを含みますー
『地獄でも大丈夫』イジメの問題は、万国共通。人間が、集団で生きていく以上なくならない。そんな人間の悲しい習性を描きながらも、絶望的にならない。この映画は、二人のイジメられっ子少女の成長期、ふたりの明るさだけがこの映画の成功ではないだろうか。
今も昔も変わらぬ、イジメ
昔は、こんなイジメは無かったとか、言いたがるが。
根本的構造は、変わらない。
大人の世界とて同じ。
しかし、イジメの方法とその程度は、違うだろうな。
そう思いたいのは、私のような年寄りだけか。
でも、旭川でのイジメ事件とか聞くにつけて。
自ら命を断った少女が、痛ましい。
イジメは万国共通、今回は、韓国の高校生が、主人公。
よく、イジメはイジメられる側にも問題がある。
よく聞く言葉だけど。
そんなことは、どうでもいい。
人間は、集団になると、異質なものを排除したがるだけ。
あるいは、集団ストレスのはけ口を見つけたいだけ。
二人の少女の元気さに、救われる。
イジメられる二人の少女は、仲良し。
いつも、死ぬことばかり考えて。
ときには、自殺未遂。
ふたりは、転向したイジメっ子の復讐の旅に、ソウルに。
イジメっ子の少女は、キリスト教新興宗教施設で、新たな生活を送っている。
過去の自分を悔い。
良い人になっている。
ここからが、この映画の見せ場。
新興宗教の嘘っぷりが、現実的でいい。
おおよそ、偽物はこうなんだろうな。
そんな見せ方が、ハマっている。
そう、人間は、そう簡単に変わらないのだ。
キリスト教的団体が、いかにもという設定を見せてくれるのも楽しい。
そう、こんなもんなのだろうな。
人は、一度信じると、たとえおかしいと思っても、中々その過ちを認めようとしない。
当然な話で、否定すれば、自らのアイデンティティーを失ってしまう。
だから怖くて、しがみつく。
信仰を否定するつもりはないけど、おおよそ世の中には、ごまんとある。
ひとりで、悩まない、これしかないな。
少女ふたりが、故郷に戻るラストがいい。
一回り成長した、二人が、現実に向かってゆく。
新興宗教の欺瞞を目の当たりにすることで、大人社会のいい加減さも体験した。
そんな二人の、ある種開き直りの明るさとでもいいますか。
だよね、せめて映画の世界ぐらいこうあってほしいなと。
残念だけど、現実社会は、なかなか。
親や教師に相談しても。
きちっと向き合ってくれなかったり。
イジメ自体なかったことにして、自らの保身を図る教師もいたりして。
悲しいけど、サバイバルです。
これは、無理だとというときは、そんな環境から逃げ出す以外には。
これ、大人の社会にも言えることなのですが。
映画『地獄でも大丈夫』関連サイト:http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000811
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