日本も昔は貧しかった 映画『にあんちゃん』

映画フィルムのイメージ画像 映画館

十分満たされた現代の生活なのに、さらにもっとと考えてしまう。日本には、貧しい時代があったことも忘れてしまう。そう豊かさに慣れてしまうと、その豊かさのありがたみを感じなくなってしまうのですね。

1953年(昭和28年)少女の日記の映画化

その作品が、『にあんちゃん』(1959年日活制作)

舞台は九州佐賀県の炭鉱。

ここを舞台に父親が亡くなり、子供4人で生きて行く姿が描かれております。

舞台となる炭鉱、時代は石炭から石油にかわるエネルギー革命のさなか。

日本でも、炭鉱の廃坑が続き不況の影が忍び寄る。

そんなさ中、健気に生きて行こうとする兄妹4人の姿が痛々しい。

あまりにも貧しい生活。

今日明日を生きて行くお金に事欠く家族。

育ちざかりの子供。

日本が豊かになるのは、まだ先の話。

炭鉱の生活が克明に描かれています。

在日朝鮮人の姿も。

不衛生な住宅環境。

不景気とはいえ、恵まれている現在の日本

作品を見ると、つくづくそう感じます。

私が育った昭和40年代の東京下町でさえ、共同トイレ、炊事場のアパートなんてざらにあったし。

各家庭に、風呂場はなく、銭湯はいつも満員、トイレは汲み取り式。

晩御飯は、今の様に何品もなんてことは少なく。

一つのおかずを家族で分けて。

欲望の器の大きさの変化

だから、ほんのわずかのことで幸福感を味わえたのも確か。

デザートに何か果物が出て来たり。

お誕生日に買ってもらうケーキに歓喜したり。

狭い部屋に家族肩寄せ合って。

だから、自分の部屋が欲しくて欲しくて。

外食なんて滅多にしないから、そんな時はいつまでもその余韻に浸り。

そう、欲望の器が小さかったから、すぐ一杯になった。

あらゆる物が満たされた現代。

それが当たり前になってしまった現代。

あの当時と比べたら、夢の様な生活をしているのに。

人々はけっして幸福感に満たされているとは思えない。

そう、欲望の器が大きくなってしまったのだ

そんな時代を私達は生きている。

NIKKATSU:https://www.nikkatsu.com/movie/20390.html

にあんちゃん
九州のある炭鉱で父親が息を引き取った。残された喜一、よし子、高一、末子ら子供たちは父に死なれた悲しみよりも、明日からの生活への不安に胸をしめつけられていた。不景気は続き、喜一が失業してしまう。十才の少女の日記を映画化、明るく逞しく生きる兄弟...
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