ーネタバレを含みますー
映画『さらば我が愛/覇王別記』そのスケール、激動の中国近代史中で、京劇役者として必死に生きる主人公。そして、決してみのることのない愛。すべてが悲しいのだけど、ひたむきに生きる人間だけが到達できる境地をみせてくれる。人間のはかなさ、弱さを見せつけられる。
芸人という哀れさ
職業で、差別してはいけないという。
確かに、今の時代は、そうなのですが。
そうなったのは、ほんの僅か前のこと。
それまでは、あきらかに職業による上下関係は、存在していた。
いまだって、なくなったわけではない。
建前として、なくなっただけのことに過ぎない。
おおよそ、芸で身を立てるとは、どんなことか。
それは、この映画を見れば、すべてがわかる。
つまり、他に売るものがないという、最下層の人の従事するもの。
『覇王別記』は、親に捨てられた子供は、どうやって生きてゆくか。
そこに、芸能というものが存在する。
彼らは、最も弱い立場にいる。
芸も売れば、体も売る。
これが、芸能というものの長い歴史。
ジャニーズを見れば、一目瞭然
いま、世を騒がす、ジャニーズ問題。
少年にたいする、性的加害。
彼らは、被害者だと、盛んに声をあげている。
そうだろうか、彼らは、その場に進んで加わったはずだ。
そんなことがあるなんて知らなかったと、彼らは皆口を揃える。
ホントだろうか、噂にしろ、暴露本にしろ出ていたはずだ。
親たちだって、うすうす知っていたはずだ。
スターになる夢と引き換えに、受け入れていたはずだ。
いやなら、なぜ拒否したり、逃げ出さなかったのか。
スターになっていたら、今回のような暴露をしただろうか。
例えば、養護学校の先生だとか、相手が逃げられない状況にいる者に対する行為は、大いに問題だ。
でも、彼らの場合は違う。
芸能人として生きてゆくというのは、そのような危険が、あるということ。
それは、今も昔も本質的には、変わらない。
ただ、現代では、青少年に対する性的加害が、国際的に厳しく糾弾されるという流れが、あるということに過ぎない。
京劇の役者になる以外、生きる道がなかった。
この映画の素晴らしいところは、いくつもあるが、あえてあげれば、オープニングとラスト。
まるで、計算されたかのように、出だしで、一気に聴衆を引き込んでおいて、ラストまで突き抜けてゆく。
映画とは、こうあるべきとでも言いたげな、見事な流れ。
親に捨てられた少年が、役者としての生きる道しかない。
それも、自らの性とは、反対の女形として。
やがて、彼の人生の長い戦いが、描かれてゆく。
決して実ることのない愛が、じつに悲しい。
そして、激動の中国近代史。
まさに、一人の人間が、歴史に翻弄されながらも、自らの歩みを結実させようとする。
そんな、ひたむきさと現実の残酷さが、見事に、物語になっている。
誰でも、自らの人生において、この作品はどうしても外せないというものがある。
まさに、『覇王別記』は、そんな作品の内の一つである。
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