文芸座で『地獄の黙示録ファイナルカット』映画館で鑑賞するのは初めて

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すでに語りつくされて評価の定まった作品ですが

2020年8月文芸座で『地獄の黙示録ファイナルカット』を鑑賞する機会がありました。

公開当初は、確かDVD(当時はビデオ)で自宅で見た記憶があるのですが。

いま、改めて劇場で見てみようと出かけました。

1979年作、カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを獲得したことからも分かる様に、その評価は定まった感がありますが。

言わずと知れたベトナム戦争を描いた作品です

約40年の時を経て、あらためて劇場でじっくり見てみたくなったのですが。

鑑賞した8月という月が戦争について考えさせられる月なのかもしれません。

黙示録というキーワード

原題は、Apocalypse Now直訳すると黙示録の今という事になるのですが。

そもそも黙示録とは、新約聖書の最終章に当たるもので、一般的にはヨハネの黙示録とされております。

これは、ヨハネがパトモス島で見た夢を書き記した書であり、世の終わりを具体的に予言するものです。

しかし、その内容は夢の物語ですから、解釈は一筋縄では行きません

私が言いたいのは夢というものが、一見関係ない出来事の連続であったり、夢を見た本人にも理解できない内容だったりするものですが

しかし、一つのストーリーとしての関連もあるものであることです。

つまり、『地獄の黙示録』もある種夢の中の出来事と考えれば、その内容も理解しやすいのではないでしょか。

そうでないと、戦場でのサーフィンや、戦場とはいえあまりにも美しいダナンの橋ジャングルの奥地でのプランテーションを営むフランス人一家、そして、映画の主役とも言えるジャングルの奥地で独立王国を築くカーツ大佐。

これら、現実離れした一つ一つが夢の一コマだったとしたら理解しやすいのではないでしょか。

また、映画のラストでカーツ大佐の暗殺に成功したウィラード大尉が持ち帰る、カーツ大佐の書き記した黙示録。

なかなか凝った作りをしております。

いったい何が書いてあるのか、見る者の想像力を掻き立てる見事なラストです

まさに、戦争という狂気を見事に映像にしております

腐る一歩手前で成功した作品

と考えます。

確かにわかりずらい作品ではありますが。

ギリギリで踏みとどまって成功した作品ではないでしょうか。

たとえば、もっとコッポラ監督の思い入れ強く、比喩的場面を増やし夢の中を彷徨う意味不明な場面を増やしたとしたら、おそらくこれほどの成功は治められなかったのでは。

そう、ここから先へ行ってしまうと、ある人達には理解できるとか、あるいは本人だけにしか理解できないとか、前衛的作品になってしまうのではないでしょうか。

そして、そこを越してしまうと作品としては腐ってしまうギリギリのところで、見事に踏み止まっております。

ですから、次の世代に残したい作品として名前が挙げられのも納得いたします。

CGなど今の様に駆使出来なかった時代、巨額の予算をかけて作ることのできた、最後の大作と言えば大げさですが、当たらずとも遠からずなのではないでしょうか。

製作費約90億円、製作期間61週を掛けて、フランシス・フォード・コッポラが作り上げた大作もう同じ事は出来ないでしょね。

20世紀の残した大作を今一度鑑賞しませんか

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