1960年代台頭した若者文化
それまでの既成概念を越えて、あらゆるムーヴメントが沸き起こった、1960年代、世界的に沸き起こった世界同時革命をうたった学生運動、泥沼化するベトナム戦争、東西冷戦時代、核兵器の危機。
混沌とした時代のなかで、ロックミュージックは若者文化として登場します、今まで声を上げたことがなかった若者の言葉を代弁するがのごとく。
その先駆者が、ビートルズとするならば、そのおおきなうねりの帰着点にパンクロックがあったように思えます。
パンクロックの誕生
1975年ごろ、アメリカのロックシーンに登場したパンクロックは、1976年にその影響をうけたセックス・ピストルズがロンドンでデビュー、左翼的メッセージや反体制的を歌い多くの若者の指示をうけ、同じようなバンドが次々とデビューする、その中のひとつがクラッシュであります。
クラッシュの軌跡
クラッシュも1976年ロンドンで結成され、パンクからやがて、パンクと通じる位置付けをもつレゲエの要素を取り入れ、1976 年のアルバム『ロンドン・コーリング』で次第にロックスターへの階段を登り始めます。
セックス・ピストルズがアメリカへの進出に失敗するなか、クラッシュはシングル『ロック・ザ・カスパ』のヒットでアメリカへの進出に成功します。
しかし、1980年代に入ると、やがてその人気にも陰りが見え始め1983年にバンドは解散してしまう。
今回のドキュメンタリー『レッツ・ロックアゲイン』は、クラッシュの元メンバーで、ジョー・ストラマーの率いるバンドの2001年アメリカツアー、2002年の日本ツアーを追ったドキュメンタリーです。
残念にも、彼は、クラッシュの再結成を画策しながらも、 2002年12月心臓発作により死去してしまいます。
ジョウー・ストラマーにみるロック小僧
画面の中のスマトラーは、まるでどこにでもいる普通の人という感じである。
年齢なりにやぼったいというのではなく、人生のや山あり谷ありを経験したものが到達する優しさとでもいうべきものを兼ね備えたと言うべきか。
彼は映画のなかでこう言う「いろんな人をやった、スターも普通の人も経験した」。
地方のラジオ曲やレコード店を回ったり、自ら路上でその日のライブチケットを売ったり。
しかし、落ちぶれた感がない、たぶん彼の中では、パフォーマンスをする喜びで満足なのかも。
あるいは、かつての輝きよもう一度なのか私にはわからない。
前者のような気がしないでもないが、後者も全くないとは言えない気がする。
かつての若者文化の先端だった、跳ねっ返りが、年輪を重ねて、人間として、人間らしくなる姿がたまらなくいい。
『ロンドン・コーリング』をゆっくり聞いてみよう。
コメント