早稲田大学劇研 新人試演会 枠の中から飛び出せない管理された若者

早稲田大学劇研ポスター 歌舞伎・お芝居の世界

自由を叫びながら自由ではない、自由を希求するのは昔も今も若者の特権か。早稲田大学劇研新人試演会で、そう感じた。自由は、自分と向き合うことでしか手に入らない、孤独と自分探し、これはセットだ。ただ、管理された大学、空間でそれは叶わぬ夢でしかない。

劇研新人試演会 第9号 大隈講堂裏のアトリエ

9月の第一日曜日の午後5時大隈講堂裏アトリエ。

試演の会場。

今年の夏は異常で、9月のこの時間でも湿度も高く暑い。

かつての早大は、開かれた大学のイメージだった。

塀で囲まれた、小さな門の前で、並んで会場を待つ。

100席ほどは、ほぼ満席だそうで。

期待感をいだかせる。

やがて会場。

入口で、暑さ対策だとか、うちわを渡される。

一瞬嫌な予感が。

ああ、空調はなかった。

一時間ほどなので、なんとか持つかなとおもったのですが。

後半は、ほぼサウナ状態。

役者の体育学系の熱演で、さらにヒートアップ。

なんとか、最後までもちました。

早稲田大学劇研 舞台風景

モラトリアムと自分探しか

ざっと内容は、こんなところでしょうか。

役者の熱演は、ほどんど体操。

たしかに、新人というからには、入部まもないはず。

それにしては、よく稽古されたと。

前半は、短いギャグのやりとりとスピード感で。

後半で、主題が、見えてきてラストに。

そんな展開でした。

熱演におされて、見させられた。

偽らざる感想。

だけど、見終わったあとに、なにか物足りない。

そう、ロマンが足りない。

漁師

管理された若者たち

何処か、型にはまった芝居で終始してしまう。

なぜかと考えると。

そう、管理された学校、管理された空間。

そして、管理された若者像が見えてくる

型破りなんて、もう死語だろうか。

型に収まりきれない、はみ出してしまう

そんなところに、新たな創造が、生まれると思うのだけど

早大の先輩 映画監督 小栗康平

慶応大学の つかこうへい

くらべるのは、可愛そうだけど。

創造の世界に生きるものは、どうしてもそこと比べられる。

おなじ、体育学系的芝居をしていた「つか劇団」

ただのドタバタではなかった。

ロマンがあった。

スケールの大きさがあった。

在日の悲しみとエネルギーが、そこにあった。

おおよそ、管理などされない、自由さがそこにはあった。

今の時代だろうか、管理された社会。

管理された大学。

管理された学生。

到底そこからは、魅力的創造は生まれない

悲しいことだけど。

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