坂田藤十郎さんの訃報に思う事

歌舞伎の幕 歌舞伎・お芝居の世界

四代目坂田藤十郎さんが、享年88歳でお亡くなりになられました。扇雀さんの呼び名が有名な二代目中村扇雀をへて、父二代目中村雁治郎の名跡雁治郎を継ぎその後坂田藤十郎を襲名されました。まさに上方歌舞伎の大看板であり、和事の芸の継承者の訃報に悲しみが

二代目中村扇雀の印象が強い。

初めて、坂田藤十郎さんの舞台に接したのは1974年国立劇場の近松門左衛門作『心中天網島』で、まだ二代目中村扇雀の時代です。

四代目坂田藤十郎さんは1931年二代目中村雁治郎の長男として生まれます。

1941年に二代目中村扇雀を襲名して初舞台を踏みます。

1974年の国立劇場の舞台は父二代目中村雁治郎との共演で、父が紙屋治平、扇雀が紀の国屋小春の役でした。

その他にも共演は、十三代目片岡仁左衛門で、まさに近松門左衛門の世界と上方歌舞伎、和事の芸に浸った記憶があります。

扇雀ブームを起こしたのは、1952年 250年ぶりに復活させた近松門左衛門の『曾根崎心中』のお初で絶賛を浴びます。

当時のことは、知る由もなくそんなに凄い人とは知りませんでした。

偉大な父二代目中村雁治郎と共に歩む

坂田藤十郎の父二代目中村雁治郎は1952年『曾根崎心中』の成功の後息子である扇雀(坂田藤十郎)と共に松竹を離れます。

その後映画・ドラマへと活躍の場を移すのですが。

その活躍は目覚ましいものでした、『曾根崎心中』の後芸のスランプにあった雁治郎ですが、映画出演をきっかけにスランプを脱して、その後歌舞伎復帰の後は、上方和事の真髄ともいえる芸が高く評価されました。

私が、知っている雁治郎は、スランプを脱した頃でしょうか。

その鬼気迫る芸に圧倒されたものです。

特に多くの映画作品に出演しており、まざに凄みのある演技が記憶に残っております。

上方歌舞伎の大看板

父二代目中村雁治郎、十三代目片岡仁左衛門亡き後はまさに上方歌舞伎の大看板として、十五代目片岡仁左衛門とともに活躍してこられたのですが。

享年88歳、まさに沈みゆく上方歌舞伎を必死にささえた生涯でした。

上方歌舞伎の和事の味わいの出せる役者さんがまた一人いなくなってしまいました。

昨今歌舞伎の多様化とでも申しますか、他のジャンルの原作での新作歌舞伎も上演されるようですが。

長い伝統の上に作り上げられた芸というものが、粗末にあつかわれるのは悲しい限りです

歌舞伎はあくまでも古典ですので、基礎の部分がしっかりないと歌舞伎とは呼べない、ただのお芝居になってしまいます。

それはそれでいいのですが、長年の伝統が作り上げた芸が消えてゆくのは誠に悲しい事です

今後の上方歌舞伎

もう一人の大看板十五世片岡仁左衛門さんを中心になされるとは思うのですが。

十五世片岡仁左衛門もはや76歳、そう無理はできないですね。

上方出身の若手の役者さんが中心になり、年一回でもいいですから、自主公演なり勉強会を企画してもらいたいですね。

このまま上方歌舞伎が消えてしまってゆくには、あまりにも惜しい思いが致します。

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