コロナ禍でやっと再開した歌舞伎公演。新しい上演形態を余儀なくされておりますが。やはり長年続けてきた形をかえての公演は、今一つ盛り上がりに欠けます。元の形にはすぐには戻せない現状で、何かできることはないのか、色々考察してみました。
今までの歌舞伎上演の方法
現在では、コロナ禍ということもあって、歌舞伎座では一演目を一部として四部構成で、各回入れ替え制で行っております。
片や国立劇場は、一演目あるいは、プラス舞踊劇を一部として二部構成で上演しております。
どちらも、上演時間が以前より短いのが特徴です。
よって、上演できる演目も限られてくるのですが。
いままでは、国立劇場は長大な演目の全場面を上演する通し狂言を基本としており。
かたや、歌舞伎座は複数の演目の人気場面のみを演ずる見取りという興行形態で、おおよそ三、四演目を並べて一部としておりました。
どちらにも共通しているのは、現在よりも上演時間が長かったことです。
コロナ禍での興行では、やはり長時間の上演は難しいのでしょう。
おおよそ映画一本見るのとかわらない所要時間が目やすとなっているのでしょうか。
現在の上演時間が現代には合っていると思ったのですが。
正直、4時間近く狭い座席で芝居を見るというのはキツイのも確かです。
芝居が面白ければいいのですが、退屈な場面などはついウトウトしてしまいます。
実はそれが正しい歌舞伎の見方とでも申しますか。
江戸時代なんぞは、お芝居見物は一日がかりですから、芝居をみながらお弁当を食べたり、お酒をのんだり、あるいは、退屈な時はおしゃべりしたり。
ですから、出し物によっては、弁当幕なる退屈な場面があったり。
そんな時間を過ごしながら、クライマックスの盛り上がる幕を迎える。
何とものんびりした出し物が歌舞伎なんですね。
ですから、今回の様に上演時間が短い出し物だけ見てると何か物足りないといいますか。
最初は、現代の忙し時代にあっていると思ったのですが。
いざ観劇してみると、いきなりクライマックスを迎えているようで、まだこちらの心の準備ができていないのになという感じです。
クラシックオーケストラの演奏を聴きに行った時を想像してください。
まず、最初は少し短めの楽曲で肩慣らしという感じで。
次に、ソリストを迎えて、協奏曲。
ここでの主役はあくまでソリスト、その良さをオーケストラが如何に引き出せるか、いわゆる脇役で。
そして、最後にオーケストラだけの交響曲の演奏で、オーケストラの力量を見せるて締める。
そんな過程で、演奏会を楽しむのですが。
歌舞伎もまた同じなんですね。
いくつものステップがあって、一つの興行として成り立っているんですね。
では、今後はどんな形態になってゆくのか。
コロナが終息してくれるのが一番なんですが。
なかなかそうもゆかなくて。
そんな中でどんな興行形態を作ってゆくのか。
今後の課題ですね。
長時間の興行が、不可能であるならば。
毎度お馴染みの演目でお茶を濁すのはいかがなものかと。
それなら、いっそうの事、新作歌舞伎はどうでしょうか。
それも、昨今流行の劇画の舞台化ではなくて。
あくまでも古典芸能としての風合いを壊さず。
新作に取り組むのもいいのではないでしょか。
現代の作家でなくても、時代劇を手掛けた作家はたくさんいるのですから。
それらの舞台化というのも良いのではないでしょうか。
このままでは、お馴染みの作品の繰り返しという悪循環になると思うのですが。
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