『無頼』井筒和幸監督 任侠映画というよりも昭和へのオマージュ

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井筒和幸監督の8年目の映画作品『無頼』が公開されました。作品名からもっとどぎつい任侠映画を想像したのですが、中身は昭和と言う過ぎ去った時代への監督のオマージュが込められておりました。もしかしたら私達は捨てなくてもよかったものを置いてきてしまったのでは。

井筒和幸監督は優しい人

作品を見ての偽わざる感想です。

2012年の『黄金を抱いて翔べ』以来8年ぶりの作品になります。

監督の作品は2005年の『パッチギ』が好きです。

今回の作品もそうですが、弱い者、社会の枠からはみ出た者というかはみ出されてしまった者への暖かい眼差しを感じます。

題名『無頼』からして、もっと硬派でシリアスなヤクザ映画を期待したのですが。

裏切られたというよりも、ああこういう描き方もあるんだなと言うのが感想です。

井筒流、昭和と言う時代の総括と言えるような作品に仕上がっております。

みんなが一つの方向を見ていた時代。

それが、昭和と言う時代でしょうか。

昭和を知らない世代にとっては、何となくそんな時代だったのかなと感想を持たれるかもしれませんが。

昭和生まれの筆者にとっては、懐かしというか、自分の歩いてきた姿と重ね合わせてしまう作品です。

けっしてアウトロー的ではありませんでしたが。

どちらかと言うと、いい子を演じていた少年時代とでも言いましょうか。

街には組事務所もあったし、同級生には組長の息子とか。

肩で風切って歩くではないですが、一目でその筋の方とわかる人も結構街中にはおりました。

パチンコ屋は悪所で、チンピラとか遊び人風の人がたむろしていたし。

いまは、パチンコ屋は老人とオタクの溜り場に見えてしまうのですが。

何処の街にも、悪の匂をさ発する場所があったんですが。

今は、それはなくなりましたね。

人には善と悪とがあって、それが視覚的にもはっきりわかる時代とでもいいますか、その方が自然な気がするのですが。

何となく、街がきれいで健全というのは、その分何処かに悪が隠れてしまった気がしてならないのですが。

紅白歌合戦、大河ドラマ、朝の連続テレビ小説、NHK。

安保闘争、学生運動、連合赤軍。

高度成長期、オイルショック、バブル経済。

東京オリンピック、大阪万博、札幌オリンピック。

みんなが、同じ夢をみて、同じ思いを共有できた時代

昭和とはそんな時代だったのではないでしょうか。

今は、個の時代。

みんなが揃ってなにかを目指すという時代ではなくなった気がします。

たとえ、あったとしてもそれは企業や国が作り出したお祭りや経済効果の産物。

昭和も確かに、そのような側面が強かったのは確かですが。

かつて歌謡番組で「ザ・ベストテン」と言う番組があったのですが。

毎週生放送で、その週の歌謡曲のベストテンを発表して、その持ち歌の歌手が出演あるいはいるところまで押しかけて行って歌ってもらうという番組があったのですが。

現在では、そんな番組は出てこないでしょね。

何と言っても、個人の趣味の多様化、核家族化が進んだ時代ですから。

個人主義の時代というならそれもいいのではと思うのですが。

あくまでもお互いを尊重して、互いに適度な距離感をもって人間関係を築くというなら。

ただ、どちらかと言うと引きこもり的個人主義の気がしてならないのですが。

人は人私は私と言いながら、絶えず人の動向が気になってしょうがない個人主義の蔓延の気がしてならないのですが。

今一度昭和を振り返って

今の私達は、何処から来たのか何処へ行こうとしているのか

そんなことをふと考えてしまいます。

それを考えるとき、私達が歩んできた昭和をもう一度振り返るのも良いのでは

何を捨てて、何を得たのか

もしかしたら捨てる必要のないものまで捨ててしまったのではないか。

井筒和幸の描く『無頼』を観る時、ふとヤクザの組に家族というものを重ねてみてしまうのですが。

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