歌舞伎座五月公演、コロナ禍であるのはいたしかたないですが、まるでお通夜

歌舞伎の幕 歌舞伎・お芝居の世界

コロナ禍の興行の厳しさを見せつけられた、歌舞伎座五月公演。今後の興行の在り方は混とんとして先が見えない。さらに、歌舞伎界の抱える問題が大きく浮き上がり、今後の行く末が決して明るいものでないのが残念です。

コロナ禍における興行の難しさ

歌舞伎座正面

歌舞伎は華があって成り立つもの

自粛下で初めての歌舞伎座観劇になる、五月公演。

掛け声もダメ、ロビーでの飲食の禁止

さらに、密を避けるためロビーのソファーは六人掛けのところに二人のみ、という念の入れよう

クラスター対策とはいえ、雰囲気もなにもあったものではない

そして、係員による監視にも似た接客

なんか、こうまでしても見たくはなかったな。

演目は、時間の制約だろうか、おなじみのものばかり。

歌舞伎座五月公演第一部演目

ロビーで弁当も広げられない。

やたら高い食堂を利用してくださいということでしょうが

せめて、国立劇場のように、弁当を広げられる、休憩室ぐらい用意したらといいたくなる

まあ、所詮民間企業ですから。

松竹らしいですね、接客に期待するほうが間違い

愚痴ばかりで申し訳ないのですが。

昨今の歌舞伎界の現状をまざまざと見せられている気がして。

歌舞伎界は松竹が牛耳っているわけですが。

そこから飛び出てという、生きのいい役者が出てこないですね。

生活があるから、致し方ないのですが。

以前(昭和位かな)なら、映画がその受け皿となっていた時代があったのですが

あるいは、東宝というもう一つの興行主に移籍という手もあったのですが

それらがかなわぬ昨今、役者さんたちは松竹の顔色を伺いながら。

いわゆる言葉は、悪いが「飼い殺し」

主役ばかりでは芝居は成り立たぬもの。

いま、その脇を固める大部屋の役者さんの廃業が続いているのだとか

集客の為、漫画作品とのコラボなど、とても歌舞伎とは言えない代物も出てくる昨今

嘆かわしい

市川海老蔵の言葉

彼が、最近自分の息子が歌舞伎役者を継がなくても構わないと発言し物議をかもしたのですが

よくわかります。

若手の中では、人気実力とも申し分ない人の発言だけに、納得します。

彼も市川團十郎襲名がのびのびになっているのですが。

とにかく、襲名には金がかかりすぎる。

一説には億という金額を用意しなくてはならない。

そのために、どんな思いをしなければならないか。

自分がしてきた苦労を考えた時、息子には継がせたくないと思うのもわかります。

けっして、お勧めできる職業ではないと。

まだ、門閥で名を継げる人はそれでもましなほうでしょう。

安月給の大部屋俳優となると、離脱者が続出するのもうなずけます。

歌舞伎に未来はあるか

歌舞伎座場内の様子

残念ながら、期待はできないです。

いままで、歌舞伎界をささえてきた大名跡の役者さんたちは、これから何とか立てなおそうとするには、あまりにも年齢的に厳しい。

若手ではどうか、残念ながら実力はあっても、松竹という枠の中ではただの駒でしかありません

松竹を飛び出してなんて無責任なことを言うつもりもないですし。

大衆演劇のように、あのくらいの規模と距離で芝居が日常に入り込んでくれば、面白いのですが

おおよそ、そんな希望はかなわないでしょうし。

またコロナ禍ということを考え合わせると。

興行というものの未来は、かなり厳しいと考えざる負えません

ということで、結論から言うと。

関係者には申し訳ないのですが、衰退の一途をたどるのではないでしょうか

逆に、興行としての面白みがなくなり、松竹が手放したときに、新しい形ができる可能性があるのですが。

そうなると、いままでの歴史で積み重ねられた宝が、消失してしまう危険があるのですが。

どちらにしても、厳しい時代がやってくると思います。

一歌舞伎ファンの寝言と受け流していただければ、幸いです

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