江戸時代にタイムスリップする楽しみが歌舞伎にはあった、まるで目の前に江戸時代が広がった。お客を呼ぶがために超歌舞伎やアニメとのコラボで江戸時代のテイストは壊れてしまった。もう歌舞伎役者に期待はできない、残されたのは頑ななまでの伝統維持の文楽。
港区伝統芸能館で楽しむ「素浄瑠璃」

人形浄瑠璃いわゆる人形芝居。
この中で、人形使いを除いた、語りと三味線だけの上演を素浄瑠璃といいます。
人形浄瑠璃は江戸時代に多く上演され。
現在も、関西を中心にほそぼそと上演されております。
かの近松門左衛門が、多くの作品を残したのもこの分野。
江戸時代文化の中心は初期から中期にかけては上方。
その後、江戸に伝えられるというパターンが一般的でした。
江戸初期から元禄時代にかけて人形浄瑠璃は、上方で多く演じられました。
江戸には、あまり持ち込まれなかったようで。
歌舞伎のほうが、江戸では人気があったようですね。
上方も元禄以降は、その人気を歌舞伎に奪われてゆきます。
その後も廃れることはなかったのですが、現在に至っております。
江戸時代が、そのまま残っている庶民文化。
歌舞伎が、現在では人気ですが。
その形は、時代によって大きく変わっております。
お芝居一つをとっても、演者によってどこに主体を置くかで、物語が全く変わったものにもなります。
今回の『恋飛脚大和往来』にしても。
歌舞伎では、「封印切」といわれる、主人公が、遊女の身請けのために預かったお金に手を付ける。
しっかりと封印された小判の封印を切るところを見せ場とする演出が、一般的です。
その点文楽は、あくまでもその場面は物語の中の一場面で、流れてゆく感じです。
そう、語り物としての流れを大事にしているからでしょうか。
では、どちらが、原作に近いかというと文楽ということに。
歌舞伎は、その名の通りカブク(傾く)という表現のように、演者によって形を変えます。
ですから、初演時の原作者の意図とは違ってくるということもままあり。
その点では、初演時の江戸時代をそのまま味わいたければ、文楽となります。
崩壊してゆく歌舞伎
いくら、カブクといっても、現状のアニメとのコラボなどいかがなものでしょうか。
いくら、時代に合わせてと言っても、テイストや古典芸能としての要素を壊してゆくのは考えものです。
お客を呼んでなんぼということなのでしょうか。
だとしたら、やがて歌舞伎役者でなくても事足りてしまうとなってしまうのでは。。
まあ、歌舞伎役者もぬるま湯純粋培養的な面々が、多くなりまして。
あまりかわりばえのしない演目が並ぶ昨今。
その中で、「超歌舞伎」やアニメとのコラボとなるのでしょうか。
正直、歌舞伎に期待するところはもうなくなってしまいました。
その中で、「文楽」の存在が、私の中で大きくなってゆきます。
近松さんの世界に浸れる。
江戸時代、原作はどんなだったのか、なぜ人形浄瑠璃があそこまで人々に支持されたのか。
これからの、私の探求の楽しみです。
今回の素浄瑠璃の会の企画は、株式会社ゴテンゴテン



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