非日常との出会い。
映画館のベルが鳴る、私が初めて映画と出会った時代は1960年代(昭和40年代)いわゆる高度成長期と言われたころ。
映画の開始はベルが鳴るのが一般的で、その音を聞くと胸が高鳴ったものだ。
つまりは日常から非日常への境界を知らせる合図であるからなのかもしれない。
子供の頃は、この境界があいまいで、映画の世界を日常と思ってしまう。
だから、子供の頃はこのベルがなると、やたら興奮した。
昭和50年代は映画は斜陽産業と呼ばれ始めたころで、その存在をテレビに奪われ始めたころであったように思う。
でも、まだまだ映画会社も元気だったし、東宝、東映、松竹、日活等々新作を作っていたし。
洋画も数々の作品が登場していた。
名画座がたくさんあった。
映画が斜陽産業と言われた時代であったが、まだまだ庶民の娯楽でした。
街には必ずといっていいほど、映画館があったし、私が生まれ育った総武線沿線の千葉県寄りの街でも三軒の映画館がありスクリーンの数からいえば5つはあったとおもいます。
其のほとんどが名画座と呼ばれる、ロードショウ封切りの済んだ作品、主に洋画が中心でした、また過去の名画が上映されることも多かったです。
今のシネコンのようにフカフカの椅子とはいかず、当然ドリンクホルダーなどもないし、少し硬めの椅子で長く座ってると、お尻がいたくなったものです。
上映は、洋画二本立てというパターンが多かったと思います、あと東映の封切り館もあり、当時ヤクザ映画路線に切り替えた作品を中心に上映しておりました。
初めて映画館で見た作品
さて、私が生まれて初めて映画館で見た作品ですが、記憶にはっきり残っているのは怪獣映画で「大怪獣ガメラ」(1965年公開)です。
本当は「山椒大夫」(1954年公開)の再上映のようなのですが、あまり記憶にありません。
よく、祖母や母からこの作品を見ているとき私が怖がって椅子の下にかくれて出てこなく、てこずったことを何度もきかされました。
ですから何となくそんな記憶もあり、でも多分後から聞かされた話で、私の中に作られた記憶だと思います。
ですから、物心がつき小学校に上がるか、上がらないかの時に見た「大怪獣ガメラ」が初めて映画館で見た作品と言えるかもしれません。
大怪獣ガメラ
この作品は、 8000年以上も眠り続けていたアトランティス大陸の伝説の怪獣「ガメラ」が突然目を覚まし暴れるという設定で描かれております。
「ガメラ」とは巨大なカメと思っていただければ、何となく想像はつくと思うのですが。
ですから、「ガメラ」は害獣であり最後には、ロケットに誘いこまれて宇宙に放り出されるという結末を迎えます。
しかしこの害獣が次作からは、放り出された宇宙から舞い戻り、地球を暴れまわる怪獣たちと戦う英雄に代わってしまいます。
いかにもご都合主義といえるのですが、一躍ガメラは、当時の子供たちのヒーローになったわけです。
しかし、私の中ではそれほど「ガメラ」はヒーローとはなりませんでした、おそらくその姿かたちとでもいうか(少しグロテスクなその風貌)が合わなかったのかもしれません。
ガメラの人気はそう長くなかったように思います。
やがて、ヒーローの座をあっさりと奪われてしまうのです。
真打登場「ウルトラマン」
そう、1966年に登場した「ウルトラマン」です。
主に、テレビ番組として作られシリーズ化もされ押しも押されぬヒーローの座を確立してゆきます。
ウルトラマンはM78星雲から正義のために、地球を救うためにきたのです。
映画版もつくられ、夏休みなどに合わせて上映され、毎回見に行きました。
そして、子供たちのヒーローとして不動の地位を築いたのです。
映画館の魅力
映画館で映画を見るのは、日常から非日常への旅行のようなものです。
怪獣映画から始まった、私の映画人生はその後も続き、多くの作品と出会いました。
一時はVIDEOやDVDにその地位を奪われていたころもありましたが(私の中だけですが)人生の後半にかなり入っている今、やはり映画館に戻ってきました。
さすがにこの歳で怪獣映画ということはないですが。
洋画や邦画数知れずの作品と出会い、その作品一つ一つが人生を豊かにしてくれました。
海外に行ったことのない私には正に映画を通じて海外旅行ができます。
映画に乾杯。
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