ーネタバレを含むー
少年を描くときアメリカではこんな息子がいたらと思わせるそんな役作りをするそうで。そういう意味ではこの作品は合格点なんですが、でもそれは、作られた子供像で。過去の名作と言われる作品は、弱い立場の子供のもつ切なさが描かれているかが鍵なのですが。
誰にでもある子供時代。
子供が、主役映画の難しさ。
そう誰にでも子供の時代があるから、その頃とどうしても比べてしまう。
そんな、懐かしさを愛おしさを映像の中に表現できれば、その作品は成功。
『雑魚どもよ、大志を抱け!』は、『スタンド・バイ・ミー』と『リトル・ランボーズ』をたしたような作品。
別にそれは、悪いことでもなんでもない。
過去の作品は、一つのアイデアであるから。
それらの作品に類似していても何ら問題ではない。
ただ、そこに作者のアイデアというか前作にはないテイストがほしいのだが。
それが、十分にあるとは言えない。
子供を主役にすることの難しさ。
特に、この作品のように、小学校6年生をどう描くか。
思春期の入口。
そんな少年達の心情とは。
おおよそ、子供は純真だと。
でも、それは正しくない。
彼らは、一人では生きて行けないから、大人にとっていい子であろうとする。
そう自我が芽生え、自分を主張するのは、もう少し後なのだ。
となると、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の少年たちは。
しっかりした自己と主張をもっている。
自らの少年時代とてらしあわせると、ありえないのである。
弱い立場の切なさが描かれれば。
そう、この映画の物足りなさは、これにつきる。
『スタンド・バイ・ミー』や『リトルランボーズ』にはあって、この作品にはないもの。
殺人者でヤクザの父親を持った、主役の少年の友達がもったいない。
その友人の父親の永瀬正敏がいい。
もっと、この家族のやりきれなさが出てくれば、この作品は、もっと深くなったのに。
こんな生き方しかできない、永瀬の心情がほしかった。
そうすれば、そんな父親をもった少年の心が映し出されたのに。
安心して見ていられる作品ではある。
映画『雑魚どもよ、大志を抱け!』公式サイト:https://zakodomoyo-movie.jp/
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