キャッチコピー「ボーイ・ミーツ・ボーイの物語」はいかがなもんでしょうかね。
あまり、いいコピーではないですね。
昨今のジェンダーフリーの影響でしょうか。
もともとアジアはジェンダーフリーですよ。寛容な精神があるんですが。
それが普通と言うか、特別視することの方が不自然な形なのだと。
ただ、作中の1980年代はベトナムは共産党政権、同性愛はあまり歓迎されていないはずですが。
作品の中では、とくに同性愛を強く強調するでもなく。
はたして、作中で描かれる淡い気持ちが同性愛なのか、ただ思う気持ちが同性に向かっただけのものなのか、どうでもいいと言うのが、観賞後の感想です。
もっとおおらかと言うか、どっちでもいいじゃないという感じです、もともとアジアではその寛容な傾向が普通では。
その点キリスト教国のほうが、了見が狭い感じがします。
一重に聖書に書かれている文言を其のままとれば、同性愛は良くないという事になるのですが。
まあ、聖書全体を通して考えるとまた違った考え方も出てくるのですが。
ここでは、そんな難しい論争をする気は毛頭なく。
ベトナム1980年代をそのまま楽しんで下さい。
ベトナム古典芸能「カイルオン」がキーポイント
“主にベトナム南部のドンカタイトゥの音楽とメコンデルタ民謡に基づいて手形成された、演劇ドラマです。”(音楽散歩道より)
オペラのベトナム版というところです。
見た感想は、京劇の大衆版という感じですが、京劇との関係はよくわかりません。
しかし、大陸の地続きの地域では、国境に関係なくたがいに影響しあっているのだと、演じ方や、衣装からそれらを感じ取れます。
オペラばんですから、オーケストラボックスがあって、そこで、楽劇にあわせ演奏される民族楽器「ソン・ラン」は悲しい響きを伝えてくれます。
いいですね、人間の表面の顔の下にある、普段は意識しない感情を揺り動かしてくれます。
芸能の本当の豊かさは、こんなところにあるのですね。
昨今の、軽薄文化芸能にはまねのできない、奥深さを感じさせてくれます。
そんな深さに触れれば、「ボーイ・ミーツー・ボーイ」なんてどうでもいいことなんですが。
芝居小屋で生まれ育った主人公
芝居小屋で成長する少年を描いた作品としては。
『さらばわが愛 覇王別姫』(中国映画)や『幸せはシャンソニア劇場から』(フランス映画)がありますが。
本作もそれらを彷彿させます。
父親は「ソン・ラン」の奏者、母親は「カイルオン」の役者。
生活の中に芝居の日々、母親の舞台にこころ弾ませる少年の姿がいいですね。
また純粋だからこそ、その分ままなぬ人生がせつないですね。
しかし、戻って行く場所は、心のふるさとしかないわけで。
遠回りしながらも人生を渡り歩く、主人公に心傾きます。
アジアの朋友から送られた珠玉の作品を堪能しましょう。
かつては、日本もこんな感じだったのですか。
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