日本をいや世界を震撼させた、オウム真理教による地下鉄サリン事件あれから26年たった現在、当時被害者でその後の人生を大きく狂わせた監督が、オウム真理教の後継団体の広報部長荒木浩(事件当時は入信したばかり)と事件について対峙する。映画『AGANAI』
オウム真理教幹部によって引き起こされた事件
1995年3/20東京・霞が関駅を通過する3つの地下鉄路線の5つの車両に、猛毒の化学兵器サリンをまいて犠牲者の出た事件です。
教団の教祖は、麻原彰晃、教祖と幹部12名は2018年に死刑が執行されており刑事上では収束となっております。
事件後教団は、2000年破産に伴い「オウム真理教」としては、消滅しました。
しかし、信者らによって教義は引き継がれ、主に宗教団体「Aleph」やそこから分派した団体等によって現代まで引き継がれております。
オウム真理教事件においては、いまだ解明できていない部分も多く、当時教団内でも確認できただけで5名の死者がおり、他30名の行方不明者がおります。
ドキュメンタリー映画の監督は事件の被害者
監督さかはらあつしは事件の被害者で、事件によりその後の人生を大きく狂わされております。
その彼が、後継団体である「Aleph」の広報部長荒木浩との対話を作品にしたものです。
まず、監督は被害者でありながら、荒木を受け入れ理解しようとします。
その過程がロードムービーのごとくカメラは追い続けるのですが。
過去にあった同じようなドキュメンタリー映画作品に『ゆきゆきて神軍』があるのですが。
『ゆきゆきて神軍』のように荒木を追い詰めることはありません。
しかし、その核心に迫ろうとする姿勢は被害者であるだけに、鋭いです。
教義や信者がなぜいなくならないのか
これだけの凶悪事件を起こしてなぜ、教義や信者がなぜ今もと不思議に思われるでしょうが。
一度蒔かれた種は、もうそれ以前には戻らないことをつくづく感じます。
信者のいまだ麻原彰晃の教えを引き継いでいる鍵は。
麻原彰晃が事件については、何一つ語っていないことです。
事件を引き起こした幹部たちは、公判の中でそれぞれ自供しております。
そして、その自供に元ずいて刑が確定したのですが。
教祖麻原彰晃自身が、獄中の取り調べにおいて何も語らなかったことが、教義が生き続けた原因の一つです。
現在の信者の言い分もそこにあります。
事件の概要については、実行犯も含め当時の幹部連中の話であり、麻原彰晃自体何も語っていないのだからというものです。
つまり麻原彰晃が、何も語っていないのだから本当のところはわからないと言う理屈でしょうか。
よって、教義は、信者によって現在も受け継がれております。
信者としての心象とは
これだけ強い教義である以上、そこに帰依したものにとっては、なくてはならない物なのでしょう。
不安な現代人の心の隙間に入り込むとでもいいますか。
逆に、この信仰にとどまっている方が生き易いのでしょう。
自分で判断し、苦しむ必要がないのだから。
だから、そこから離れることには大きな恐怖と不安がつきまとうのではないでしょうか。
蒔かれた種の今後
これは、もうどうしようもないです。
というと無責任でしょうが、人の心の中までは支配できないのですから。
では、蒔かれた種を拾った信者達の地下鉄サリン事件に対する責任はどうなのでしょう。
作品のラストで、荒木浩が地下鉄サリン事件の慰霊祭で献花し新聞社のインタビューに答えるところで映画は終わっています。
いかにも、荒木はひ弱そうで、人も悪くなく、頭もいい。
インタビューには殊勝な姿で臨むのですが。
監督が荒木に投げかけた言葉がすべてを物語っております。
「事件について、申し訳なかったとか謝罪の言葉は一つもなかったね。」
渋谷シアターイメージフォーラムにて公開中http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/4154/
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