1988年女子高生コンクリート詰め殺人事件
を彷彿とさせる作品です。
作品は、娘を失くした父親の復讐劇ですが。
なぜか、1988年に東京都足立区で起きた少年達による女子高生コンクリート詰め殺人事件を思い出します。
そんな鬼畜とも呼ぶべき少年達が描かれております。
娘を殺した少年達を父親が追い詰めてゆくのですが。
一人娘を失った父親の悲しみが伝わってきます。
原作は、東野圭吾で2009年東映で映画化され、今回鑑賞したのは2014年韓国によるリメイクになります。
作品には、少年達の屈折した心情が画面に映し出されます。
そのあたりが、足立区の事件と結びつくのでしょうか。
社会には、一定数救いがたい少年達の存在があることを作品をご覧になった方はお感じになるのでは。
なんか、やるせない、行き場のない感情になってしまうのですが。
なぜ、少年達はそこまですさんでしまうのか、足立区のケースはさておき本作の少年達の置かれてる環境を考えてみたいと思います。
鬱憤社会に生きる韓国の若者。
韓国では現在高校卒業生の7割が大学進学を目指すと言われております。
日本以上に学歴社会の韓国は、まずいい大学を出なければ、それには熾烈な受験戦争を勝ち抜けねばなりません、世界一厳しいと言われる韓国の受験戦争。
しかし、そこを勝ち抜けた者に待ち受ける現実とは。
韓国社会は、有名企業と中小企業の格差が激しく、大卒は何としても有名企業を目指します、つまり狭き門ですね。
そこからこぼれ落ちたものは、満足な職にありつけない現実がまってます。
非正規やパートアルバイト、そして失業状態におかれるのもごく普通の出来事です。
そして、社会に蔓延する不正、朴槿恵前大統領の知人の娘が不正入学したことに端を発したキャンドル集会は記憶に新しいことで、その後誕生したのが現文在寅政権。
しかし、政権の掲げる「機会は平等であり、過程は公正であり、結果は正義に見合う」社会の実現は思ったほど成果があがらず、若者の雇用状態は厳しさを増すばかりです。
そんな、鬱屈した若者の心情がこの映画の根底には流れております。
社会的成功が人生の最大目標
とする考え方が韓国社会にはあります。
そこにたどり着くには厳しい選別を勝ち抜けねば、勝ち抜いた後はさらにいい職に就くために賄賂が必要だとしたら。
なんか、夢のない話ですよね。
でも、それがお隣の国韓国の現実でもあるわけで。
ですから、この作品のような鬱屈した若者のも出てくるわけで。
この問題は、韓国社会の根源とも言うべき価値観ともかかわって来るし。
そう簡単には、解決や改善はならないような気がします。
自国の事ではないのでこれ以上は立ち入りませんが、その国で生きる人達の問題ですから。
そう考えると、まだ日本は恵まれていると思います、たとえ大企業には入れなくても力ある中小企業が多いので、そこに就職すればほどほどの収入は得られるのですから。
コロナで変わるこれまでの方程式
先ほど申した様に日本はまだ恵まれていると。
しかし、これが過去形になる可能性がコロナですね。
中小企業もさることながら、大企業でもこの先どうなるかはわからないのですから。
そう考えるとお隣の国の問題とのんきに構えるわけにも行かないですね。
いままでの価値観を捨てて生き抜く逞しさというのが求められるのでは。
少ない収入でもやっていかれる工夫も必要ですね。
何より、職の機会が失われるのが怖いです、少ない収入でもあるのとないのでは大きな違いですから。
これまで以上に慎重な生き方が求められるのでは。
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