100人いれば、100通りの性癖がある。
まず、この基本的理解がないと、話は前に進まない。
異性愛、同性愛、両性愛、さらにこの映画の主題小児性愛。
つまり、一人ひとりそれぞれ違った顔を持つのと同じで、その性的思考もそれぞれちがう。
いわゆる、正常なと思われる、異性愛であっても完璧な異性愛などありえない。
精神医学上は、人はもともと幼児期は同性愛であり、それが年齢とともにその関心が異性へと向かう。
しかし、人それぞれ、同性愛的部分を多少残すものもいるし、多く残すものもいる、人それぞれなので、同性愛だ、異性愛だとハッキリ線引きできるものでもない。
性的対象は、普通年齢とともに上がって来るものだが、その時なんらかの阻害要因があってある年齢で止まってしまう。
それが、いわゆる小児性愛となる。
作品は、娘をそんな対象者に誘拐された、夫婦の苦しみを描いています。
2014年カナダ製作で、この問題が社会的にも深刻なことを伺わせる。
性的嗜好は変えることが出来るのか。
専門家にたずねると、かなり難しいという答えが返ってきます。
精神療法家の分野になるんですが、人一人を別の人格に変えるくらいの大変な治療のようです。
まあ、その人の性的嗜好の強さによるようですが、変わる人もいるけど、変わらない人もいるという事です。
かなり、専門的治療になるので、やはり都市部の精神療法家の分野になるかと。
それも、数は限られているというか、専門的に性の問題を扱う、精神科医や精神療法家は数は少ないです。
私の知り合いの精神科医は、この分野も扱うのですが、社会で子供に対する性的事件が起こるたびに、「ああ事件を起こす前に私達のところに来てくれればな」とつぶやいていたのを思い出します。
当事者が、問題意識をもって専門家を訪ねるほかない。
しかし、現実的には、こういう性癖を持っている人は、溢れでる性欲をいかに満足させる事にエネルギーをつかい、決して自分から専門家の門を叩く人は少ないのが現実です。
そして、問題行動を起こす、上手く行くと繰り返す、やがて事件として警察のご厄介になるのです。
そこで、やっと専門家を運よく紹介され、治療にあたればいいのですが、ほとんどが再犯を繰り返すのが現実です。
行動に移してしまうと全てがお終いなのです。
18歳未満との婚姻が認められていた時代とは違うのです。
江戸時代や近くは昭和の第二次世界大戦以前の時代とは大きく違って、今では犯罪なのです。
カトリック教会の神父の少年に対する性的虐待問題を見てもお判りの様に、この問題は今始まったことではないのです。
親は、子供に知らない大人に最大限注意するよう教えることが重要。
悲しい時代ですが、そういうことなんですね。
それ以外、子供を守る手段はないのです。
仮想の世界であっても、インターネットの普及で子供の危険は増えるばかりです。
加害者は、昔であったらあくまでも少数派ですから同じ嗜好を持つ者と結びつくことは少なかったのですが。
インターネットの時代で簡単に仲間が作れてしまいます。
そして、欲望を満たす事に夢中になります。
子供の危険度は、高くなってますね。
加害者にならない為には、そのような性的嗜好を持つ方は、出来るだけ専門の医師や臨床心理士を探しアドバイスを受ける必要があると。
その点では、現代はインターネットを使えば到達しやすいと。
そして、各地にあるそのような性的嗜好の方の自助グループもあると聞きます。
決していまのままでいないで専門家の元を訪ねましょう。
この作品を鑑賞後に心に浮かんできたことを書いてみました。
ありがとうございました。
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