歌舞伎名作劇場 近松門左衛門作の世話物最高傑作『女殺油地獄』

歌舞伎の幕 歌舞伎・お芝居の世界

元禄時代に隆盛を迎えた歌舞伎

歌舞伎には、3度の隆盛期があったとされます。

出雲阿国の念仏踊りから発生した歌舞伎はその約100年後元禄時代にまず最初の隆盛期を迎えます。

その時活躍した作者が近松門左衛門です。

最も当時は歌舞伎より義太夫浄瑠璃の人気が上回っていたので、最初は義太夫の作品として書かれました、その後歌舞伎でも上演されるようになります。

近松門左衛門を有名にしたのは、おもに心中物と呼ばれる、男女のかなわぬ恋を描いた作品を多く書きました。

今で言うとスキャンダルとでも言いますか、週刊誌のゴシップネタのとでも言ったらいいのでしょうか。

当時は、週刊誌も新聞もありませんから、巷で噂になる話をいち早く戯曲にして上演してたわけです。

未熟な者の迎える悲劇

それが、近松作品の傾向でしょうか、大店の息子で苦労知らず、大人になりきれずに迎える悲劇。

そんな作品が、多いのも一つの傾向です。

『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』もそんな中で作られた作品です。

題名がおどろおどろしいですね、中身もかなり残酷なシーンがあり、当時かなりの話題になったかとも思われるのですが。

実際にはあまり評判が良くなく、1902年(明治42年)に再演され絶賛されます

つまり、評価されたのは初演から200年後となります。

昨今は、上演回数は多いのですが、それは一重に作品の題材が今日的である、現代のかかえる問題に通じるところがあるからだと、思うのですが。

主人公は今で言う境界型人格障害

あらすじは、大阪天満の油屋、河内屋徳兵衛は番頭上がりで、主人の子供与兵衛を義理の息子として育てていた。

しかし、義理の息子を甘やかし、強い言葉も言わず、甘やかし続けてしまった。

その結果、義理の息子は店の金は持ち出しては遊女に入れあげれる、いわゆる放蕩息子となってしまう。

いよいよ堪忍袋の緒が切れ勘当するのだが、時すでに遅し。

借金の期限に四苦八苦した与兵衛は、同じ油屋のお吉に金の無心をするが、断られたためお吉を殺害して金を奪うのである。

ここで、この作品のハイライトお吉殺害の場があるのですが、舞台に油をぶちまけてのたうち回る演出は、度肝をぬかれます。

目的の為なら手段を選ばないと言うよりも、短略的で、自分がこんなに頼んでいるのに何故わかってくれないというような、身勝手な解釈が与兵衛を突き動かします。

つまり、自己愛の塊なわけで。

簡単に言うと子供のまま大きくなってしまったわけです

近年こういうタイプの人が引き起こす事件が多いですね。

精神科の領域では、こういうタイプを境界型人格障害、あるいは自己愛型人格障害とされます。

人格障害という概念が医療現場で病名とされたのが、1980年代後半から1990年代初めにかけてですから、比較的新しい分類になるのですが。

近松門左衛門のすごいところは、300年も前にその人格に問題のある者を芝居の題材として取り上げたばかりでなく、なんで、そんな人間ができてしまうと言う所まで描いていることです。

当時は、そんな障害のある者が引き起こす事件は今日ほど多くなく、作品として世に受け入れられなかったのではないでしょうか。

では、現代多く上演されるという事は、まさに現代社会の抱える問題を象徴したかの作品ではないでしょうか。

与兵衛を演じた3人の役者

私は、この作品を4回観ております、与兵衛を演じたのは、15世片岡仁左衛門3世實川延若10世松本幸四郎の三人になります。

3世實川延若さんは、1991年に亡くなられております。

一番若いのは、10世松本幸四郎さんになります。

最初にこの作品をみたのは、約30年ほど前になりますが、片岡仁左衛門さんがまだ片岡孝夫を名乗っていいたころだと思います。

同じ役でも、演じる人によってどこを強調するか、どう演じるかで作品のもつ意味合いがかなり違ってきます。

片岡仁左衛門さんの演じた『女殺油地獄』は、様式美を追及したと今は思っております、何でも美学にするのが好きな日本ですが、まさに「殺しの美学」の極地ではないかと。

人一人を殺めるということが、どんなにむごい事かというのを嫌というほど見せます、何度も止めを刺そうとしのたうち回る姿が、恐ろしかったことを覚えています。

次に拝見したのが、3世實川延若さんでした、印象的だったのはお吉を殺害して奪った金を抱えて花道を引っ込む場面です、放心状態の中に、こんなことをしでかしてまでも生きてゆかねばならぬ己の性、哀れさが見事でした。

三度目にこの作品を見たのは、2009年片岡仁左衛門の与兵衛で、仁左衛門さんの与兵衛を見るのは二度目になります。

再演を重ね、すでに完成された舞台でしたが、仁左衛門さんは与兵衛を演じるのを最後にしております。

その理由は、与兵衛を演じるのは若さが必要で、自分は今回を最後にするというものでした。

仁左衛門の中で完成された与兵衛は、30年前初めて観た時と違って、実にリアルな感じを受けました。

ですから、正直見ていて気色悪いというのが本音です、殺害の場面ではすでに目つきが本当に違う、まさに「行っちゃてる」狂気を見ている思いがしました。

与兵衛の役を卒業するというのも何となくわかる気がします

与兵衛の演じ方の一つの完成形なのだと

与兵衛役を継いだ10世松本幸四郎

片岡仁左衛門さんから、与兵衛を継いだのは10世松本幸四郎さんです。

本来、上方歌舞伎に属する近松作品を江戸の役者が受け継ぐのは難しい面があるとお思うのですが。

江戸歌舞伎では江戸弁と、上方歌舞伎では、関西弁となるのですが、そこは素質があり努力家の幸四郎さんですね。

見事にものにされております

しかし、これから回数を重ねるごとに、幸四郎さんなりの与兵衛というものが出来上がってくると思います。

どんな、与兵衛を演じて、どんな作品に仕上げてくれるのでしょう。

近松作品を現代によみがえらせてくれるものと。

大いに楽しみにしております。

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