かつて日本映画がまだ元気だったころ、日本アートシアターギルドというちょっと変わった作品をつくる会社がありました。今では、普通に作れそうな作品なのですが、あの当時は、大手映画会社は手を出さなかった脚本や企画を世に送り出した会社でした。
先入観を持ってみてしまう失敗
国立映画アーカイブ 再映2020年上映企画。https://www.nfaj.go.jp/exhibition/rescheduled202110/
そこから、1982日本アートシアターギルド(ATG)制作。
怪異談『生きている小平治』を見ました。
『生きている小平治』は、落語家八代目林家正蔵が得意とした怪談話です。
始めて聞いた時、夏の晩だったのですが、クーラーのない台所でラジオから流れる話に聞き入った覚えがあります。
背筋が寒くなるという感覚を久しぶりに感じだ瞬間でした。
それくらい、正蔵の『生きている小平治』は怖いお話でした。
そんな先入観があったのか、今回の映画版は物足りなさがあったのも確かです。
しかし、それは、あくまでも落語噺での話。
正蔵の『生きている小平治』をもし聞かなかったら。
今回の映画もそれなりに楽しめたのではないかと思います。
先入観とか、思い込みはときには映画鑑賞の邪魔になるものですね。
日本アートシアターギルド(ATG)の存在
自分の中では、ちょっと変わった作品を作る会社と。
あるいは、有楽町にあった日本劇場の地下にあった、日劇文化というスクリーンで上映されてた作品を制作していた会社というイメージでしょうか。
これも、先入観なのかもしれませんね。
日本アートシアターギルドは、1960年から1980年代まで、非商業主義的な芸術作品を制作していた会社です。
主な、代表作は。
『忍者武芸帳』大島渚監督1967年
『絞首刑』大島渚監督1968年
『心中天網島』篠田正浩監督1969年
『血の群れ』熊井啓監督1969年
『書を捨てよ町に出よう』寺山修司監督1971年
『讃歌』新藤兼人監督1972年
『股旅』市川崑監督1973年
『津軽じょんがら節』斎藤耕一1973年
『祭りの準備』黒木和雄監督1975年
『青春の殺人者』長谷川和彦監督1976年
『サード』東陽一監督1977年
『ツィゴイネルワイゼン』鈴木清順監督1980年
『ガキ帝国』井筒和幸監督1981年
『転校生』大林宣彦監督1981年
『家族ゲーム』森田芳光監督1983年
『お葬式』伊丹十三監督1984年
などなど一部だけ上げましたが、結構バラエティーに富んでいたといいますか。
決して芸術作品とはという作品も。
映画をどうとらえるか、総合芸術と考えれば、すべての作品が芸術作品となるのですが。
上記に挙げた作品をご覧になっていただくと、なんとなく商業主義作品との垣根がなくなっていった感がありますね。
日本アートシアターギルド発足当時は、日本映画界も元気な頃で、商業主義的作品の枠とでもいいますか、そんな壁があったように。
ですから、そこからはみ出た作品は中々作れなかった時代なのかもしれませんね。
今では、そんなベルリンの壁みたいなものがなくなったのでしょうね。
したがって、日本アートシアターギルドの役目も終わって、解散したのかと。
怪異談『生きている小平治』
というわけで、あらためて1982年中川信夫監督『生きている小平治』を振り返ってみますと。
なかなか、凝った作りの作品であります。
登場人物が三人というのも、低予算を逆手に取った作り。
低予算とは思えない、高度な映像処理。
なんといっても捨てがたいのは、物語全編を通して伝わる、監督の情緒へのこだわりとでも言いますか。
人間のもつ情念の世界を見事に探究した作品であります。
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