関西のお笑いと言えば、吉本の漫才だけでしょうか。いいや、豊穣なつややかさと柔らかさを兼ね備えた上方落語があります。そう、まさに上方文化ここにあり、そんな心の豊かさを満たしてくれる芸能。現代では満たしてくれる場所が減ってしまったのが、残念です。
大阪の街をぶらついて思う事。
通天閣から日本橋、鶴橋、心斎橋、道頓堀、天満宮と歩いてみて。
都会であるからして、東京と何ら変わりがないな。
あえて、道行く人が関西弁を話すことぐらいか。
これはあたりまえのことなんだろうけど。
なんか、東京と違う味わいを感じたくて。
特に、上方文化といいますか。
特に芸能の分野で、上方を感じられないかと。
今回選んだのが、天満天神繫盛亭。
落語の定席としては、歴史は浅いのですが、大阪で唯一落語を楽しめる場所。
落語と言うと、江戸東京の文化と思われがちですが。
ここ上方でも、しっかり歴史のある文化でして。
写真の石碑にもあるように、歴史ある存在でして。
街をぶらつくだけでは感じられなくなった、上方を体で、耳で、目で感じてみました。
トリの桂米團治の出来が、秀逸。
まさに、上方文化ここにありの存在感とデキ。
寄席ですから、一種団体芸ですから、トリを引き立てるための他の出演者も心得たもの。
このあたりが、寄席の楽しさなのですが。
存分に、楽しめた番組でした。
トリの桂米団治の『地獄八景亡者戯』。
大店のドラ息子、いわゆる「ぼんち」と太鼓持ち、芸者衆一行の地獄めぐり。
まあ、とんでもない設定ですが、おおらかで楽しいですね。
これが、音曲を交えて見事な出来栄え。
上方文化の底力を見る思いで。
歌舞伎の世界では、江戸の荒事に対して、関西の和事という区分があるのですが。
その言葉通りに、柔らかさとしなやかさを兼ね備えた、芸を披露してくれました。
この舞台だけでも、大阪まで来た甲斐があったというもの。
また、来たいなと思わせる舞台でした。
エピローグ
舞台の前ですから、プロローグになるのですが。
お昼を天満宮のお寿司屋さんで頂きました。
頂いたのは、繫昌亭セット。
お寿司もさることながら、お椀が薄味で、上品な関西風。
何といってもそれ以上に接客の良さ。
カウンターだけで、店の外には待つ人も。
幸い、まつことなくはいれたのですが。
授業員の接客が柔らかい。
お椀もお代わりいかがですかとすすめられ、いただきました。
それ以上に大将の、言葉使い関西弁ですが、まるで映画の中の市川雷蔵のような、柔らかさと切れの良さ。
まさに、上方を感じたひとときでした。
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