『C.R.A.Z.Y』家族というものは、実は本当に煩わしいもの。

映画フィルムのイメージ画像 映画館

ーネタバレを含みますー

『C.R.A.Z.Y』ゲイの少年の成長期と簡単に言ってしまえばそれまでですが、いまよりさらに保守的だった1960年代のカナダケベックではいかばかりだったか。過去の話として終わるのではなく、家族と自分、自由と自立についてよく考えさせてくれる良作です。

1960年代カナダケベック、ゲイを告白出来ない少年

この時代だと当然だろうなと。

少年が、自らの性的指向に疑問を持ちつつも、それを公には出来ない。

保守的な父は、どこか様子のおかしい息子に懐疑的。

この父親が、これまた旧態然とした信念の持ち主だから、さらに話はややこしい。

男ばかり5人兄弟の4番目。

映画を見ていると、家族という共同体の中で、自由に羽ばたけない主人公の葛藤が、痛いほどわかる

そう、家族というのは、実は、ものすごく煩わしいものなのだ。

子供が、成人になるまでは、家族としてのまとまりというか働きが求められるのですが。

皆さんもそう感じて大きくなったのでは、早く自由になりたい。

兄弟といえども、合う人間もいれば、水と油ほど気の合わない者もいる。

実社会なら、たがいに距離を取り合ってとか、必要がなければ付き合わないという選択肢も取れるわけで。

しかし、家族となれば、そうも言ってられない。

そのあたりの煩わしさが、実によく伝わってくる。

セクシャリティーの問題は、変わったのだろうか。

根本的なところでは、あまり変わっていないのでは。

日本では、未だに男社会だし

なかなかその実権を明け渡そうとしない。

結構日本の男は、諦めが悪いというか、なかなかその座を譲ろうともしないし。

互いの両分を新たに分かち合おうという、努力も試行錯誤もたらない。

そんな旧態然とした社会のミニチュアを、1960年代のカナダケベックの家族に見ることができる。

まあ、少しづつは変わるのでしょうが。

本当の自由とは。

やはり、孤独になることだろうなと

孤独になることで、人ははじめて、自由を手に入れられる。

そこに、自由と自立という厳しさがある

孤独を避けたいがため、ひとはなんだかんだ言って、共同体に属そうとする。

その典型例が、家族だ。

この映画を見ていると、つくづくそう思う。

本当の自由について考えてみるといい。

それは、孤独を知らないと手に入ることはない。

映画『C.R.A.Z.Y』公式サイト:http://www.finefilms.co.jp/crazy22/

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