『靴紐のロンド』家族っていいもんだなは、幻想にしか過ぎない。

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ーネタバレを含みますー

安倍首相を暗殺した山上容疑者の生育歴、家族関係が明らかになってくると暗闘とした気持ちになる。自らは変えることの出来ない、家族関係の中で、狂ってゆく人生もあれば。『靴紐のロンド』に見るように、いつまでも過去に引きずられて生きることの不自由さを感じる。

煮えきらない父親と勝ち気な妻

イタリアのとある家族の物語。

夫婦と女の子、男の子の四人家族。

なんの変哲もない家族が、父親の浮気で、いとも簡単に崩壊してゆく。

このあたり、父親の軟弱さがにじみ出てくる。

いかにも、女性にルーズな感じが否めない。

というか、浮気をした自分に罪悪感がない。

それどころか、妻にそのことを理解してもらいたいと。

なんか、開いた口が塞がらないんですが。

万事そんな亭主の家族の物語ですから。

見ていて、退屈この上ない。

まあ、イタリア流家族の肖像でしょうか。

そのわりには、イタリアの男って自分に甘いよねと。

妻も妻で、離婚後は、それなりに男関係があることを匂わせる内容。

さあ、こんな映画なんですが、どう料理しようかと悩むんですが。

後半は、老後になって、元の鞘に収まった夫婦に対する、子どもたちの葛藤がテーマ。

こっちのほうが、まだ現実的かな。

結論から言って、家族って煩わしいよね。

子供の頃は、一人では生きて行けないので、自ずと養ってもらう必要は、仕方ないんですが。

所詮家族と言っても、お互いに別人格。

一般社会なら、合う人間、合わない人間を区別して、仕事上その他で関わり合いにならなければならない時は、それぞれ距離感を上手く取ってお付き合いをすることになるのですが。

こと家族となると、そう簡単には。

互いに合わないと思いつつも、濃密な距離で生活しないとなならかったり。

この家族に関して言えば、後半成人した子どもたちの過去の心理的葛藤に対する精算ということになるのかな。

でもね、ある程度の年齢になったら合わない親とは、距離を取って。

過去にあまりとらわれず、自らのゆくべき道を見つけ、自分の人生に全勢力を傾けるべきだと。

過ぎ去ったことに、いつまでもああでもない、こうでもないととらわれるのは、不幸なことだ。

ただ、世の中には、家族の有り様が後の子供の運命や行動に、悲劇的に働いてしまうことも。

安倍首相を暗殺した、山上容疑者がいい例だ。

その行動は、たとえどうあろうとも肯定されることなどないのは、当たり前ですが。

彼の家庭環境、母親が統一教会に入れ込むあまり崩壊した家庭。

その実情が、あまりにも過酷で、抜け出すことも出来なければ、永遠に続く苦しみとも思える家族像である。

そんな過酷な状況を自らも変えることが出来ない状況。

そんな家族があることも事実である。

ということを踏まえた上で、あらためて『靴紐のロンド』

まあ、よくある話だよねということで。

家族に過大な期待をするのはよそう。

それより、自由な人生を送ろう

映画『靴紐のロンド』公式サイト:https://kutsuhimonorondo.jp/

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