ーネタバレを含みますー
映画『クロース』だれでも、少年時代に似たような経験が、あるはず。でも。大人になるにつれて、そんな気持ちが、あったことさえ忘れてしまう。ただ、生きてゆくことだけに貪欲なだけでいいのだろうか。こんな少年時代のピュアな心のかけらでもあれば、人生は豊かに。
古今東西、いろんな物語があります。
少年愛、BLといった部類になるのでしょうか。
古くは、四世鶴屋南北作『桜姫東文章。』
青年僧と稚児さん(少年)との恋愛物語。
映画では、『寄宿舎 悲しみの天使』でしょうか。
カトリックの男性だけの寄宿舎での少年と、青年の恋物語。
今回の作品でもそうですが、少年愛の物語は、片方の死で終わるのが、通例。
ただ、恋愛の異型だと、決めつけるのは、いかがなものでしょう。
もともと人間は、同性愛。
それが、思春期を過ぎて、異性への関心が芽生えてくるもの。
あるいは、そのまま同性愛の道に進むもの。
それって、本人の意思では、変えられるものでもなく。
まあ、医療的にその性的関心の方向を変えることは、決して不可能ではないですが。
もともと、人間の性愛などというものは、曖昧なもの。
それをいや、同性愛だ、異性愛だ、やれLGBTだと問題視するほうが、おかしい。
不可思議なものとして、そのまま受け入れるのが、自然。
ただ、社会生活では、何かと不便と偏見をうけますから、問題として取り上げているだけのこと。
日本をみてください、江戸時代は、ごくごく当たり前のことと、してたんですよ。
![漁師](https://i0.wp.com/himabu117.com/wp-content/uploads/2023/06/fisherman-2739115_640-2.jpg?resize=600%2C153&ssl=1)
ガラスの少年時代のあやうさ。
ピュアであるがために、その実直さが、悲しい結末に。
この作品だって、幼い頃から、兄弟のように育った同じ年の二人。
いつもいっしょ、やがて中学生に。
その仲を、同級生にからかわれて、一人が、相手を突き放す。
よくあるパターンなんですが。
異性間だったら、失恋ということになるのかな。
ただ、異性間だと同性のように、あそこまで距離は、近くないよね。
ただの失恋なんだけど。
そこが、少年愛のピュアなところ。
すべてを失って、絶望の縁に陥ってゆく。
なんで、そこまで、ただの失恋じゃない。
ひたむきさや、純粋さを捨て去った大人
極端な言い方ですが、生きてゆくとはそういう一面もある、ということ。
大人になるには、色んな面を脱ぎ捨てていかねばならない。
でないと、生きて行けないから。
ただ、多くの大人たちが、脱ぎ捨てなくていいものまで捨てて、大人になってゆくということ。
そんな、人たちには、この映画は、わからないだろうな。
悲しい結末だけど、人間として、捨ててはいけないものがある、ということ。
たとえ、かけらであっても持っていないと。
この映画は、そのことを言っている。
ただ、残された家族の悲しみが、どこまでも深く、救いがないのが、寂しい。
映画『CLOSE/クロース』公式サイト:https://closemovie.jp/
![](https://i0.wp.com/www19.a8.net/0.gif?resize=1%2C1&ssl=1)
![](https://i0.wp.com/www19.a8.net/0.gif?resize=1%2C1&ssl=1)
![](https://i0.wp.com/www17.a8.net/0.gif?resize=1%2C1&ssl=1)
コメント