1950年台のイギリス
作品でも描かれている様に、第二次世界大戦直後のイギリスの労働者階級の生活がよく伝わってきます。
裕福ではなく、どちらかと言うと貧しいという表現があっているだろうか。
そんな一家のお話です。
50台と思しき夫婦と息子、娘の四人家族。
狭いアパートと質素な暮らし。
戦後の日本もそうだったろうが、必要最小限の物しかない生活が描かれている。
そして、何よりも感じるのが決して高いとは言えない知的レベル。
そんな言い方すると偉そうに思うかもしれませんが。
高等教育を受けていないというのを感じます。
労働者階級というものの当時の平均的生活なのでしょうか。
労働者階級と言うか庶民を描いたイギリスの監督では、ケン・ローチが有名ですが。
彼の作品、初期の『ケス』が1960年台、その後『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』が2000年に入ってからの作品ですが。
いずれもイギリスの労働者階級の家庭が舞台です。
それらの作品を見ると何となく、イギリスの労働者階級の生活がイメージできるのですが。
今回の『ヴェラ・ドレイク』は、時代的には『ケス』が一番近いですが、さらに戦後の混乱期をやっと脱したという趣です。
ですから、生活だけで手一杯感があります。
そんな家庭の母親、主人公ヴェラ・ドレイクの秘密
それが、映画の主題なのです。
彼女は、堕胎を手伝っていたのです。
それも、まるで溜まった異物を吐き出す様に。
何の罪の意識もなく、平然と。
そこが、この作品の怖いところです。
そんなことが、当たり前の時代ではなかったのでしょうが。
イギリスでも24週までの中絶が合法化されたのが1967年ですから。
この作品の舞台の頃は、中絶の為にはそれなりの費用と手続きが必要だったことが、作品からもうかがえます。
中絶という問題は、日本でも1948年に優生保護法が成立し、中絶が合法化されたのですが、差別的な考えを増長する虞があるとの反発から1996年に母体保護法として改正された経路があり今日に至っております
つまり、人間の生命にかかわる問題でありながら、法整備がなされたのは最近だということです。
また、国や宗教によってもいまでもその是非は問われる問題なのですが。
いつの時代も割を食うのは女性
この問題を語る時には、避けて通れないですね。
大事な問題なのに、なぜこうもほおっておかれたのでしょうか。
たとえ中絶が合法化されても、一番傷つくのは女性であり、また生命をいかにするのかの決断も、そしてその事実を背負って生きて行かねばならないわけで。
それらを考えたとき、主人公のヴェラ・ドレイクの行為、何の罪悪感もなしに処置をする、恐ろしくもありそれが違法でありながらまかり通っていた時代。
今の時代でも根本的なところは、変わってないような気がするのですが。
簡単な問題ではないけど、簡単に考えてしまう風潮、いろんなことを考えさせられる作品です。
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