『レッド・ロケット』元ポルノスター男優の奮戦記アメリカの格差社会

映画『レッド・ロケット』ポスター 映画館

日本にはかつて「食い詰め者」という言葉があった。映画『レッド・ロケット』の主人公もそういうことなんだろうけど、一発逆転を狙っている。アメリカ社会の下層からのメッセージなんだろうか。なにか悲しものを感じてしまうのは、私だけだろうか。

ハッキリと存在する格差

日本でも、近年格差社会と言う言葉が、よく聞かれますが。

アメリカという国には、ハッキリと視覚的にそれを感じる地域や人種

いわゆる階層というものが、ハッキリと存在するんだなと、この作品を見るとつくづく感じます。

主人公は、元ポルノスター(自称)男優。

今は、文無しになって元妻のところに転がり込んでくる。

しかし、その妻の家も母との二人暮らしなんだけど、その日暮らし。

元妻が、体を売ってなんとか。

いわゆる、プアーホワイトと言われる階層

アメリカには、ハッキリとそんな階層が見て取れる。

会話から感じ取れるレベルとか、日本だとここまでハッキリと棲み分けはしてないんだけど。

アメリカテキサス州の主人公の住む地域は、それとわかる下層に属する地域。

日本でも広がる、格差。

しかし映画のアメリカのように、ハッキリと棲み分けしているわけではない。

高級住宅街は、あるにはあるのですが。

立派なお屋敷の脇にボロアパートがあったり。

しかし、映画のアメリカはしっかり線引きされている。

その地域に生まれるた人間は、せいぜい高校まで、大学にゆく者は少なく。

軍隊にゆくものや、低賃金労働につくもの。

そして、麻薬の売人。

悪循環といいますか、この階層に生まれたら、そこからは中々抜け出せない。

そんなアメリカ社会の一旦をこの作品から感じてしまう。

品のない会話、生活水準が否が応でも見えてしまう。

憧れのアメリカの真の姿

なんだろうなと、つくづく思う。

まあ、中流から上の世界に行けばまた違うんだろうけど。

映画のように最下層に近い、あるいは中流でも限りなく下層に近い、そんな階層が増えているような気がしてならない。

アメリカの中流家庭の優雅さに憧れたのは、もう昔の話なんだと。

そういう意味では、この映画は、アメリカの下層の姿を真摯に描いているように感じます。

車社会であるにも関わらず、車のない家庭。

自転車で移動する主人公。

その向こうに見える工場群。

そこから輩出される労働者も限りなく下層に近い現実。

日本もやがてこうなるのだろうか、ハッキリと格差が見て取れる社会に。

格差が、生まれている現実を感じる昨今の日本の将来は?

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