歌舞伎の醍醐味
一口に言えば、当時の庶民の生活をのぞき見することだろう。
のぞき見というと何か悪いことでもしてるかの表現に聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
なんというか、タイムマシーンに乗って時間旅行をしている感覚です。
歌舞伎というものがこの世に生まれ、現在の様な形になってからほぼ300年の間その基本的かたちのまま現在にいたっているわけで。
その間あらゆる作品が生まれては消え、そしてまた生まれては消え、それらを繰り返し現在までいたっております。
江戸時代は当然今のようにテレビやラジオ、ましてはインターネットなどというものはなく、人々は世間の情報源としては、「瓦版(かわらばん)」などがあったのですが。
お芝居(歌舞伎)も当時の事件や風俗、流行を題材としたものが多く残されており。
それらを通して当時の庶民の生活や生活感を見てみましょう。
大スペクタクル活劇「天竺徳兵衛韓噺」
この作品「てんじゅくとくべいむかしばなし」と読みます。
1804年に初演されました、作者は四世鶴屋南北(つるやなんぼく)といいます。
「東海道四谷怪談」の作者といった方が分かりやすいでしょうか。
作風としては奇想天外な作品が多いです。
本作「天竺徳兵衛韓噺」も例外ではなく、時は室町時代将軍足利義政の家老吉岡宗鑑が実は日本転覆を目論む大明国の遺臣で、その息子徳兵衛(大日丸)が、父から伝授された”蝦蟇(がま)の妖術”を自在に操り、日本転覆をはかる。
という実に荒唐無稽な作品です。
その、突拍子もないところ、まさかそんなことがあるだろうか、というところが受けたんでしょうね。
作品から感じる、江戸時代のおおらかさ
この舞台当時としては、大掛かりなしかけがありました。
屋敷を押しつぶすでかい蝦蟇(がま)の出現と屋台崩し、また主人公徳兵衛の早変わり、本水(本当の水)を用いた演出などなど、現代の大掛かりな舞台からすると、見劣りするかもしれませんが。
当時の技術をもってしても、よくぞここまでアイデアを出すなと、感心させられます。
何よりも当時の観客は、驚き、驚嘆し、そして喝采を浴びせたろうと想像されます。
その、姿を想像するだけでほのぼのとした気持ちになります。
なによりも、現代人とちがい素直に喜び、素直にかなしむ姿が、想像されます。
では、現代人は素直でないかということになるのですが。
彼らの生活のスピード、や生活感が現代人とは大きく違うわけで。
少なくとも、満員電車に揺られて、わずかな隙間を確保してスマホに熱中する、そして熱中する内容が、ゲームだったり、「今ここでやらないとならないの」と問いたくなる現代人とは、生活のリズムが違います。
人間らしく生きよう
歌舞伎を見ていると、いつも思うのは、人間が人間をやっているなとかんじることです。
現代人は、人間ではないのと言われそうですが。
生活の速度を考えてみましょう、ホントにそんなせわしなく生活しないとならないの。
そんなに、狭い日本急いで何処へ行くの?といつも問いたくなります。
いいや、「そうでないと取り残されるから」とおっしゃるかもしれませんが。
人間が人間でいられるスピードには、限界というものがあります。
もっと、ゆったりとせわしなくしないでも、生きてゆかれるんです。
私が、歌舞伎を見ていつも感じるのは、当時の人たちのおおらかさです。
現代人は、とうに忘れ去ったものです。
どうか、機会を作って歌舞伎を楽しみましょ。
そして、人間らしさとは、こんなにスローでも人間はやれるんだ。
是非ともそんなことを感じて頂きたいと思います。
たとえそれが、劇場の中だけだとしても。
そんな雰囲気にひたってください。
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