ーネタバレを含みますー
見てる者をある程度納得させないと、ただ独りよがりになってしまう。作者が、聖書をどう理解しようが勝手ではあるけれど、どこをどう解釈したらこのような作品になるのか。あるいは、作者の狙いはあくまでも聖書を素材として新たな物語を構築しようとしたのか。
さらに内容がつまらない
もう散々に書きますが。
物語は、聖書の「黙示録」を参考にした作品。
正式には新約聖書「ヨハネ黙示録」
イエス・キリストの弟子ヨハネが、パトモス島で見た夢を書いた章で、新約聖書の最後の章です。
難解だといわてていますが。
内容は、世の終わりがどのように来るかということ。
まあ、夢の中ですか、登場人物や比喩などなど。
自分が見た夢でさえ、あれはなんの意味なのだろうとおもうぐらいですから。
「黙示録」は、世の終わりがどのように来るかと予言した書
なわけで、その中に人間を殺す権利を持った四人の騎士というのが、現れます。
映画は、この四人を登場させ、彼らが、世の終わりを阻止するために。
その資格を持った家族を探すところから始まります。
そして、その資格を持つ家族の一人が、自ら命をたち捧げものとなることで、世の終わりが防げると、その家族を説得するのですが。
もうここで、デタラメ感が。
聖書の中では、世を成敗する代理人のような四人の騎士が、世の終わりを避けるために奔走する。
なんか、この設定だけで、空いた口が塞がらないといいますか。
世の終わりは、悲しいことなのか。
最大の問題は、ここですよね。
聖書では、世の終わりつまり最後の審判が行われ。
キリストを王とする神の国がやってくる。
つまり、喜ばしいことなんですが。
ただ、終末論が怖がられるのは、「ヨハネの黙示録」に描かれる審判における残酷な描写に尽きるわけで。
聖書においては、避けて通れないところ。
キリスト教信者にとっては、救いの完結という喜ばしいことなんですが。
つまり、神がお決めになった世の終わりを人間が止める。
そう、この映画はそういうことなんです。
いや少し好意的に解釈して、きっと神の啓示を受けたであろう映画の中の四人の騎士が、世の終わりを止めたんだから。
それは、神のみ心だと解釈するのでしょうか。
なぜか、不自然で取ってつけた解釈になってしまいます。
なんで、こうなるかなと最後まで納得できない作品。
映画「KNOCK終末の訪問者」公式サイト:https://knock-movie.jp/



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