人間の本質とは。
人は生きている時に、自分というものを感じながら生きてると思うのですが。
はたして、自分が思っている自分が本当の自分なのだろうかと言う問いに、明確に答えられる人はそうはいないのではないでしょうか?
答えられたとしても、自分でそう思っているだけで、実は違うのかもしれない。
つまり、私が言いたいのは、人間はよくわからないと言うこと。
玉ねぎを想像していただければ、分かりやすいとおもうのですが、自分だと思っていた一番外側の皮がどうも自分ではないらしい、では一枚剥いてみるか。
そうするとまた違う自分が現れる、やがてその自分にもどうもしっくりいかない、そして、もう一枚、次にもう一枚と剥いて行く。
最後に残る芯が本当の自分なのだろうか、どうもそれも違うらしいとなると自分とはいったい何者なのか。
普段、人間は一番外側の自分を自分だと思ってやっているだけに過ぎない。
この映画の面白いところは、その皮を一枚一枚剥いて行くところです。
スウェーデンの財閥(旧貴族社会)がその舞台。
もうそれだけで、このミステリィー作品が何とも言えない輝きを発してくる。
2011年アメリカ作ではあるが、もとはスティーグ・ラーソンの世界的ベストセラーを映画化したスウェーデン映画『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』のリメイクである。
スウェーデンという我々から馴染みのない国が舞台なのがまず目を引く。
日常生活が我々とは違うのだ、空の色も違う、そして日本にはない大富豪(財閥)の存在とその社会。
それらを見事に映像化している。
なんで、こんな重厚な映像が作れるのだろうと思ってしまう。
我々の暮らしている世界とは、明らかに空気が違うのだ。
そして、あまりなじみのない北欧の雰囲気。
見事に映像に映し出している。
やがて、登場人物の皮が剥がされてゆく。
少女疾走事件を追う記者とその助手、天才ハッカー(ドラゴンタトゥーの女)が一枚一枚そのかわを剥いで行く。
その過程が、緻密に描かれていて、見ているものを北欧世界に引きずり込んでくれる。
事件の謎に旧約聖書のレビ記を引用しているのも憎い。物語の重厚さにさらに厚みが加わっている。
人間の原罪とも言うべき本質をレビ記と関連づけることで、物語をより深いものにしている。
犯人にせまりその皮を一枚一枚を剥いて行く、果たしてラストになにが起こるのか。
後は、見てのお楽しみと。
あなたは、自らの皮を一枚一枚剥いて行ったときに何が残りますか。
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