ーネタバレを含みますー
人間誰しも楽をして生きていたいもの、そう考えるのはわたしだけでしょうか。確かに仕事をするから起きたくない朝もいやいや起きて出勤する、そのルーティンがあるからこそしゃきっとしていられるのも事実。ですが、よくよく自由というものを考えてもいいのでは
アニエス・ヴェルダの最高傑作だというのに
日本では、ヒットしない。
映画は、18歳の主人公の少女の死から始まる。
いわゆる野垂れ死にといったら表現がきついが、似たようなものだ。
路上生活を送る少女。
なぜ。
彼女のセリフ「楽に生きたい」「好きなことだけして生きていたい」
なの無理でしょ。
というわけで、テントを担いでの路上生活は、次第に荒んでゆき。
冒頭の結末になるわけですが。
これが、本国フランスでは、大ヒット。
しかし、日本では、話題にもならない。
自由を希求するフランス人
これ、私の結論。
とにかく、人生は楽しむためにあるもの。
そんな考えが当たり前のお国柄。
夏のヴァカンスは一ヶ月が当たり前。
楽しい時を過ごすために、嫌な仕事を我慢する。
一週間の労働時間も正規社員で35時間。
だから、少女のセリフにも共感する。
この少女の物語は、実在したお話。
その自由であることをピュアに求める少女に、共感するのも無理からぬこと。
人間は、もともと怠惰なもの。
そんな人間の本質をかの国は理解しておられる。
日本人は勤勉だという作られた幻想
いまだ、私達はこの幻想から抜け出せていない。
日本人が、勤勉になったのは、明治期以降。
それも、政府の富国強兵政策によって作られた習慣。
それまでの日本人は、もっといい加減でおおらかだった。
そろそろ、自らの呪縛から解放されてもいいのではないですか。
都市部に人口が集中する狭い生活空間を我慢し。
おおよそ、のんびりとかおおらかとかいう言葉が似合わない日本人。
とても、幸福とは程遠いと思うのですが。
しかし、自由気ままにと生活をなりたたせるとは、簡単には相容れないもの。
自由のもつ厳しさ
じゃあ気ままに生きられるかというと、生活が、となります。
当たり前ですが。
そこに、自由の持つ厳しさがあるわけで。
だからこそ、ピュアに自由を希求して死んでいった少女に共感するのだと。
少女もかたくなに援助を受けようとしない。
観てる方は、受け入れたらいいのにと思うのですが。
なんとか自分でやろうとする姿。
これって『夜明けまでバス停』での女主人公にも共通すること。
厳しい局面でも、自分の力でなんとかしようとする。
人に助けを借りると微妙に自らの独立性が失われる。
つまり自由ではなくなる、不自由さを受け入れないとならない。
ここにも自由の持つ厳しさがあると。
日本にはない「落ち穂拾い」
言わずとしれた、ミレーの代表的絵画作品ですが。
収穫の終わった畑で、小麦の落ち穂を拾う女性たちがモチーフ。
フランスでは、収穫の終わった畑は、残った作物は、誰が取ってもいい習慣になってます。
このあたりは、ヴェルダのドキュメンタリー『落ち穂拾い』にくわしく描かれております。
そう、だから拾い物だけで生活をしようとする人も出てくるわけで。
また、ロマ(ジプシー)の存在も大きいですね。
流浪の民は、定職はもたず、各地を放浪しながら生活する人々。
ですから、少女のような自由に放浪しようとする人間も出てくるわけで。
この作品が、心にささるのは、人間の根源的欲求を満たしたい。
が、そこには、自由の持つ厳しさが存在しますよということだと。
我々だって、自由な時間の為に、窮屈な時間を我慢しているだけなのですが。
映画『冬の旅』公式サイト:http://www.zaziefilms.com/fuyunotabi/
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